百済本記 ㉔ 高句麗の内乱
欽明六年(545年、聖明王23年)、是年、高句麗に内乱が起こり多くの死者が出たという。
朝鮮半島の情勢に変化が生じてきた。
百済本記に云はく、
「十二月の甲午(20日)、高麗国の細群と麁群と宮門に戦ふ。
鼓を伐ちて戦闘へり。細群敗れて兵を解かざること三日。
尽に細群の子孫を捕へて誅しつ。
戊戌(24日)に、狛国の香岡上王(ぬたのすおりこけ)薨せぬ。」
といふ。
どうやら高句麗では国王の中夫人と小夫人の勢力が戦って中夫人が勝ち、小夫人の親族を皆殺しにしたということらしい。
夫人同士の争いの中で香岡上王は死んでいった。
七年春正月、前年にやってきた百済の使人中部奈率己連(ちうほうなそちこれん)等が帰国した。
その際馬を70頭、船を10艘賜った。
戦争状態にある百済は馬が必要だったのだろう。
馬を70頭運ぶためには10艘の船が必要だったということか。
同じ年の夏六月には百済から中部奈率掠葉礼(けいせふらい)等が派遣されてきて献調したという。
馬と船のお礼であろう。