美保神社(松江市美保関町)

美保神社へ訪れる日は朝から鳥取市白兎海岸まで行き、
因幡国、伯耆国を見ながら戻ってくる強行スケジュールだった。
予定では美保神社の脇のレストランで昼食をとることになっていた。
到着したのは午後3時半。
それでもレストランの方々は我々一行を温かく迎えてくれた。
さすがに国譲りの地の人々は寛大である。
美保神社の祭神は三穂津姫命と事代主神。
三穂津姫命は大国主神の御后神で事代主神は大国主神の第一子。
母と子を祭神としている。
 
【国譲り】
天照大神から国譲りを要求された大国主神は
その判断を息子の事代主神に委ねる。
事代主神は全ての事情を察知して(そのため事主神ともいわれる)
海中に青柴垣(あをふしがき)を作り、
天逆手(あまのむかへで)を拍っておこもりになった。
(「天逆手を拍つ」は、商行為などでいう「手打ち」の起源といわれる。)
 
【稲作の伝来】
三穂津姫命は高天原から稲穂をもって大国主神に嫁ぎ、
庶民の食糧として稲作を普及させた神様とされている。
三穂津姫命は丹後地方の豊受姫を連想させる。
豊受姫には「天の真名井」の伝説があるが
美保神社の(美保湾をはさんで)対岸の淀江町には
「天の真名井」という史跡が地図上に見つけることができた。
豊受姫―「天の真名井」―三穂津姫命が稲作をもたらす説話で共通している。
丹後国と伯耆国と出雲国がつながっていることになってくるのか、
今後の研究課題になりそうだ。
そういえば丹波、丹後の説話にも大巳貴命が頻繁に登場していた。
山陰旅行を通じて頭の中では、
弥生時代のある時期に、
日本海側のかなり広範囲に、
出雲を中心とする「倭国」が存在した、という空想がどんどん広がってきている。
 
【国作り】
大国主神は少彦名神の協力を得て出雲の国作りを行ったが、
美保関は大国主神が最初に少彦名神を迎えた場所。
 
美保神社は大国主神が行った「国作り」→「稲作」→「国譲り」、
出雲における主な事柄の舞台となった場所に鎮座している
 
あいにくの雨の中、急ぎ足で美保神社の比翼大社造りの社殿を参拝した。