日本書紀の時代設定
東アジアの情勢との時間的な関係を日本書紀はどう見ていたのだろうか。
日本書紀自体の構成は必ずしも時系列に忠実になっているとは言えない。
例えば神功皇后摂政六十五年に、
「百済の枕流王薨りぬ。」とある。
三国史記によると枕流王の死亡は385年となっている。
翌六十六年条には有名な「壹与の晋武帝への貢献」記事が掲載されている。
壹与の貢献は晋朝の泰初二年で266年のことである。
干支が同じで120年下げて記述している。
書紀紀年では神功摂政六十六年は266年とのことなので、
海外の記事を120年繰り上げて記述していると言った方が正確なのかもしれない。いずれにしても国内記事と海外記事との整合性に対しては
かなり乱暴なはめ込みを行っていると言わざるを得ない。
海外との関係記事から東アジアとの整合性を見てみよう。
神功摂政期には、
百済第13代の肖古王(在位:346~375)から
第16代の辰斯王の即位(385年)まで記されている。
次の応神紀には辰斯王(在位:385~392)、
第17代阿花王(在位:392~405)、
第18代直支王(在位:405~420)が登場する。
日本書紀の編纂者はこの頃の百済との関係を
かなり丁寧に書いており、
西晋滅亡後に独立性を高めたと思われる
百済の実質的な創生期時代の倭国との関係を
神功皇后と応神帝の時代にあてはめようとしていることは否めない。
(To be continued)