【まとめ ②】
推古帝の遺言によって、田村皇子が即位して舒明帝になる。
遺言の解釈について群臣たちの意見は分かれたという。
最終的に蘇我蝦夷が私心ではなく先帝のご遺志によって、
田村皇子の即位を決定したことになっている。
しかし単純に考えて蘇我氏の血脈を引く山背大兄皇子と
ほとんど蘇我氏とは無縁の田村皇子を比べて、
蘇我氏のトップである蝦夷が田村皇子を選ぶこと自体
普通では考えられない。
その辺の説明が日本書紀は十分ではない。
蘇我氏の後、名実ともに権力を握る舒明帝一族に禅譲した結果となっている。
舒明帝の即位が先帝の意志を受けて平和裏に決定したことを強調している。
推古帝にしても蘇我蝦夷にしても、
田村皇子を選ぶ理由があまりにも希薄なのだ。
山背大兄皇子も田村皇子も父親が天皇でないことにおいては共通している。
しかし山背大兄の父親は推古帝の摂政を務めて、
佐治天下の役割を十二分に果たした聖徳太子。
一方田村皇子の父親は日本書紀にわずかしか登場しない彦人大兄皇子。
どう考えても田村皇子の即位の目はないと考えるのが常識的と言うものだ。
その常識から外れた判断で即位できなかった山背大兄は
後に蘇我入鹿に疎んじられ、攻撃を受けて自害することになる。
入鹿の父蝦夷は、
「入鹿よ、お前はなんて馬鹿なことをしてしまったのだ。
今度はお前が危なくなる番だ。」
と言ったという。
蝦夷は入鹿が敵側=舒明帝一族に大義名分を与えてしまったことを予感した。
こうして日本書紀は全て舒明帝一族に都合の良い形で
天智帝誕生に少しずつ向かう展開を描いていく。
(To be continued)