今回は あくまで私の主観による独り言
のんびりが不思議さん 少数派といわれる
根柢のような思考回路によるものなので
読んで気分を害される方もいるかもしれません
興味のない方は スルーしてくださいね(;´▽`A``
よく思うことなのだけど…
子供を欲しい理由ってなんだろう。
子供を欲しいと願うのは その人自身の欲ではないかな
そういわれるとなんだか否定したくなるだろうけど
でも、違うなら
そもそも どうして子供が欲しいのかな…
純粋には 子供を産み育てたい って想いなのだろうけど
結果的には そこにいろんな欲が出てくるんじゃないかな
老後の面倒をみてほしいとか…
いい大学をでてほしいとか…
こうなって欲しいああなって欲しい…
人それぞれいろんな想いはあるだろうけど
結局 自分の欲を押し付けてるんじゃないかなぁ…
だから 子育てや子供自身に対して不平・不満が出てくるんじゃないかな
のんびりは 子供好きとはいえないけど よその子だって可愛いなって思える
やっぱり子供は産みたいと思ったし 我が子はかわいい
子どもが欲しい理由も 我が子を産み育てたいと思ったから
自分の欲なんだよね
だから 精一杯自分にできる限りの事をして育ててあげたい
でも 老後の面倒をみてほしいとか
産んだことを感謝してほしいとは思わない
だって自分が我が子を授かってみたいと思って産んだんだもん
立派な大人になって 独り立ちしてほしいとは思うけど
それだって のんびりの勝手な想い やっぱり自分のため
そう思うのは 私の母への疑問でもあるから
「産んでもらって感謝の気持ちもない」ってよく言われたけど
いまだに意味がわからない
たしかに 産んでもらったことに感謝はしてるけど
それって 母自身が子供を欲しくてそうしたんでしょう?
そして自分の理想像を描いてた それが思い通りとはいかなかった…
ただそれだけ 思い通りにいかない我が子に腹立たしかったのだろうけど
でもそれってなにか違う気がする
たとえ自分の子どもでも 一人の人間で 意思があるって忘れてない?
そしてどんな理想像を描いていたんだろう…
のんびりはその言葉を言われるたびに
じゃあ なぜ産んだの?
母の理想じゃない私は いらなかったの?
私自身を受け入れてくれないの?
そんな風に思いながら 一生懸命母の思い描く娘像を追い求めた
のんびりはそんな風に思って生きてきたから
余計に子供に対して 理想像は描かない
良いコト悪いコトは 厳しく教えるけど
それだって所詮 のんびりの主観によるもので正解かどうかなんてわからない
よく親になって初めて親のありがたみがわかるっていうけど
のんびりは反対だった…
親になって母に対して不信感が募り 嫌悪感さえ感じていた
愛していればこそだよ などといわれても なぜか心に響かなかった
たしかに愛してくれていたとは思う
だけど きっと母が一番好きなのは母自身だったのだと思う
あるブログとの出会いでようやくその事に気がつけた
それからは以前ほど 嫌悪感はなくなった
愛していればこそ などと綺麗ごとを言われるよりも
自分自身が一番好きでどうしても理想像を描いてしまう
それが叶わなくて腹が立ってしまうといわれれば
母も同じ一人の人間なのだと許せた
親である前に 一人の人間
子である前に 一人の人間
子どもは親の所有物ではなく 意志を持った一人の人間なんだ
そう思ってから 子育ても気持ちがラクになった
一人の人間なのだから 思い通りになんていくわけない
そしてそれを選んだのも 自分なのだから
自分が産み育てたいと望んだのだから
もし息づまることがあったら まず一呼吸おいて
自分の気持ちと向き合ってみたらどうかな
きっと答えは自分の中にあると思うから きっと答えが見つかるはず