失敗は成功の母 | 隠れうつの私が、周囲の視線におびえて仕事する自分から、上司や同僚に必要とされるようになった道筋について

隠れうつの私が、周囲の視線におびえて仕事する自分から、上司や同僚に必要とされるようになった道筋について

うつはつらいものです。
でも平時に、注意していれば
落ち込み方を徐々に小さくしていくことができます。
医者には頼りません。

先に述べときます

ちょっと重たい話があります。

でも、

みなさんにとっては他人事ですから

軽く流してください。



私の中には

失敗してはいけない

という強い強迫観念があります。



過去に

気づけなかったがゆえに、

近しい人の死を止められなかった。

という苦い経験が五指に余るほどあるのです。


だからこそ

「失敗してはいけない」という強迫観念は

強く強く刻まれているのですが…。


人の数だけ人生があるように、

その死の形も人それぞれです。


でも、

誰にでも

「生と死を分ける分水嶺」が

存在することは確かです。



1人目の時は、

  全く何もわかりませんでした。



2人目の時は、

  シグナルを見落としていた自分がいました。



3、4人目の時は、

  シグナルには気づきましたが、

  それを、本人に確認する勇気が持てませんでした。



5人目の時は、

  シグナルに気づき、

  それを本人に伝えることはできましたが、

  一歩踏み出すことができませんでした。



6人目の時は、

  シグナルに気づき、

  それを本人に伝え、ともに病院へ行くことができましたが

  手の施しようがありませんでした。






ここで私は思いました。

シグナルが見えてからでは遅いのだと。

どうすればいいのか・・・。



考えた末に行き当たったのが、

以前書いた「日常の観察」でした。

些細な変化が起点となって

それが、止められない流れになる前に、

その流れにストップをかける。


こうして、

死の連鎖を止めることには

成功しました。




「失敗は成功の母」

という有名な言葉があります。


失敗を、

意味のないもの・単なる結果として扱う

のではなく、



失敗に至る過程の中の

どこが問題

どんな過不足があって

この結果が導かれたのかを

しっかり反芻しながら

考えることが大切である

ということなのです。



前述の私の過去では、

それぞれの出来事の間に

およそ半年のインターバルがありました。

2人目以降、

私は毎晩その人との

出会いから別れまでを繰り返し夢見ることとなりました。

まさに反芻です。

1ケ月もたつともはやノイローゼ状態です。

夜寝るのが怖くなり、

意識を失うまでアニメにしがみつく生活を送っていました。

当然のように学校へは行けなくなり、

食事は3日で2食。

自分が死神であるかのように思っていたので、

昼間は閉じこもり、

深夜どうしてもたまらなくなって弁当を買いに行く。

運動もしないから3日で2食でもぶくぶく肥る。

醜い自分を見られたくなくて

ますますひきこもる。

2か月目にはすでに

白昼夢で反芻する状態に・・・。

何度死のうと思ったことか。


これが、

その時「気が付くべきだった事」に

気づくまで続きました。



それが、

分水嶺であり、

関わり方であり、

人間観察だったのです。



そして、この気づき以降しばらくの間は

身近な人には(大けがはあれど)

死者はでなくなったのでした。