学生が飲み会をするというので、声もかけてくれたので行ってきた。土曜の夕方に。すっかり酔っ払ってふらりふらりとしているうちに二次会のカラオケにまでついて行ってしまった。一次会で帰れよ、と自分でも思うけど、何より0次会(銀だこ)から結構飲んでしまっていたので、前頭葉が弱って理性が働かなかった。朝一から仕事で、本務校から杉並の別の学校にハシゴして、疲れていたのもあったかもしれない。暑かったし。

 

0次会、といえば学生の方は先に飲んでいなかったのだろうか。浅草やスカイツリーを留学生と見学してきたというが、こんな暑いなか、ビール片手に浅草の仲見世を歩かない手はないだろう。十数年前、自分が学生の頃も留学生とそういう催しをしたな、などと思い出したが、その頃は飲んでいなかったのだろうか。先生は同行していなかったと思うから、多分飲んでいたんじゃないかと思う。

 

学生の方は1次会で盛大に盛り上がり、無理をしたゼミ長2人が下馬表通りにつぶれ、でかい男の方(めがね)を僕と同僚の教員二人で電車に押し込み、華奢な女の子を別の教授がトイレで介抱するという武勇伝ぶりを発揮していた。一緒に電車に押し込んだ同僚のFは意識朦朧としながら謝罪を繰り返すめがね君をみて最後まで大爆笑していた。「ぜってぇ青梅まで帰れないだろ」と大学教員とは思えない口振りで、悪いやつだなこいつ、と思った。Fは大学学部時代の同級生でもあるのだけれど、そうだ、たしかあの時代にも終電を追いかけて八王子駅構内を走る老けた友人Tの後ろ姿をみて笑い転げていたな、などと、いらぬ記憶が脳裏を掠めた。そう、Fも僕も、根っこは割と悪い人間だ。なんとなく自分の記憶力を恨めしい気持ちになりながら、めがね君を電車に押し込んで、「すいません、すいません」とか言いながら一度もこちらを振り返らない彼の様子に、まあこれも青春だなと思った。

 

もう一人の方は、居酒屋に戻ってみたらまだ教授に介抱されていた。なにこの子たち最高じゃん、などと思いながら、そうだよね、迷惑かけてからが人生だし、苦い記憶を噛み締めるのが酒というもの、などと考えていた。俺もありますし。八王子の、ゼミ仲間でたまに行っていた居酒屋、そこでみんなで撮った写真がなぜかちらりと脳裏を掠めたり。その居酒屋では鍛高譚を吐いて、吐いてからも席に戻ってまた飲んだ、そんな記憶がいまでも脳裏にこびりついている。

 

後日談で、上の酔い潰れた二人は週明けにFの研究室を訪れ謝罪していたらしい。僕は月曜日は出講の予定はなかったのだけれど、ちょいと所用で大学に寄ったらFがニヤニヤと笑いを堪えもせず訪ねてきた。「あの二人、来たわよ」と言いながら。どうやらどちらも当然無事には帰れずに、みんなと別れてからも武勇伝を吉祥寺に、東京に、残してきたらしい。可愛いやつらだ。明日は授業でめがねくんに会うのだけれど、どういう言葉を掛けようか、決めてはいるのだけれど、まずは彼の気まずい表情をみてからだ。

 

酔い潰れた記憶、ということでいえば意外だったのは、同僚Fが昔上海で酔い潰れた記憶をいまでも覚えていたことだ。Fと僕は当時就職で上海に住んでいた大学の先輩を訪ねたのだけれど、そこで出された白酒をFはマグカップでコーヒーのように飲み、そのあと見事につぶれて、宿泊先のロビーにいた警備員に介抱されていた。僕は彼女がそんな都合の悪い記憶を覚えていないだろうと思っていたのだけれど、めがね君たちが居酒屋で酔い潰れているのをみて、ゲラゲラ笑いながらFは楽しげにその当時の話をしていた。きっと彼女にとってもトラウマだったのだろう。だからこそ、酒で潰れた経験は生涯かけた思い出になるのだ。長い付き合いだけれど、僕が彼女に学んだことは不都合は「忘れる」こと、だった。なんでも覚えていて自分を苦しめる癖のある僕にとっては救いだったのだけれど、だからこそ、そういう記憶を共有していることに意外な思いがした。それと同時に、これを覚えているんだったら、あれも覚えられているかも、と不安な気持ちになったり。学生時代の友人というのは本当に、よくも悪くも、というか。

 

いずれにしても、Fを鏡にして自分のことを思ったり、現役の学生を鏡にして自分というものを振り返って考えたり、他人はいつも自分を映し出しているなと思う。そしてそれにあまり意味がないことにまた虚しさを覚えたり。人との別れが近づくと惜しくなったり、でもその感情が必ずしも一義的なものでなくて、どこか冷静な自分もいたり。人間とは二人以上いて人間なのだな、と。二人いないと内省も芽生えないという意味で。

 

一次会の間、教授に「あなたは家庭を持たないのかしら」的なことをいわれた。相手がいるのならともかく、そうでもないし、あても全くないので、どう答えるのが一番面白いかなと考えて、「どういう人が好みなのかしら」という問いに「オードリー・ヘップバーンです」と中国語で答えた。なぜだろうか、いつかwechatのモーメントに中国語でオードリー・ヘップバーンについて書いたことがあって、その時にアップした写真が急に思い浮かんだのだ。いわゆる偶像、でもまったく好みではない。教授も酒で軽く顔を赤らめていたからあまり深くは聞いてこなかった。どちらかというと、そのあとのカラオケの余韻で学生とダベった時の方が余計なことを喋ったかもしれない。

 

話が右往左往して申し訳ないが、かつてうちの大学にいて定年退職したKという教授がいた。イギリスの歴史が専門だったようだけれど詳しくは知らない。かつて教員紹介のプロフィールに「学生運動の時代に大学生をしていて、いい時代でした。毎日文庫本を一冊読めた」というようなことを書いていて、学生運動というものに得体の知れない関心を惹かれる僕はかつてそのことを聞いてみたことがある。それは大した話ではないのだけれど、K先生はよくダジャレをいう先生で、よく前頭葉の話をしていた。人はなぜ歳をとるとダジャレをいうのか、という話で、要するに歳をとって前頭葉が弱ると恥を感じなくなるからだという。その時はちょっとウエットに富んだギャグだと思っていたが、いまではそうもいい切れない。前頭葉が発達したということは、理性が発達したということで、恥を覚えるということは自分に制限を覚えるということで、要するに、人間は頭が良くなりすぎたゆえに本来みえていた世界の半分もみえなくなってしまったと、そういう話だったような気がする。だから僕は酒にはそこそこ有り難みを感じていて、要するに人間が酒を神秘的なものとして扱ったのは、失われた世界を取り戻す(理性を失う)ことなのだからだ。つまり僕が酒を飲み過ぎるのには理由がある、そういう風に思えたからだ。言い訳がましいけれど。

 

なんだか尻すぼみな文章、飲みながらだからこんなものかもしれない。矢野口駅前の居酒屋、ビール一杯、ハイボール一杯、またビール二杯でこのていたらく。