車で出かけるときにはラジオを聞くことが多い。
今朝は丁度大好きなFM福岡放送の中島さん(なかじーさん)の
「おもろい家族~」のコーナーだった。
とにかくユニークな家族の紹介で聞くたびに笑ってしまう。
そのコーナーが終わって、なかじーさん自身の幼少期のお話し。
寒い日、水たまりに氷が張っていたのを”じぃ~”と見つめていて、
暫くして家に入ってお母さんにひと言「氷って水になるんだね」
その言葉になかじーさんのお母さんは”この子は将来、科学者になる!”
と思っていたそうで、
なかじーさんは、「親というのは、子どものことを色々と願ったりしますよね~」
と笑って話していたが、私も色々と親の視点で勝手に思っていたことを思い出した。
長男が年長さんだったころ、
TVのニュース番組で『子どもの遺棄事件』について報道されていたのを見て、
彼は「子どもを捨てたらいけんよね。子どもは育てるもんよね~」と
私の方に振り向いて言った。
正直、「子どもは育てるもの」の言葉に驚いた。
”この人(長男)は、育ててもらっているという意識がある⁉”のか・・・と。
その時は私が驚いただけで、私からその後の質問することまで頭が回らなかった。
今にしたら、大変残念なこと。
私にもっと柔軟な頭があったなら・・・
「お母さんは何をしてあげればいいん?」
なんて聞けたのに・・・
子どもって、本当に一つの人格を持った存在。
次男も小学4年生の授業参観で知ってる諺の発表があったようで
(2人が小学生だったため、授業の半分の時間で私は教室を移動していた)、
彼が「嘘も方便」を発表したこと、ちゃんと説明ができていたことを
他の保護者(お母さん)の方から後日教えてもらった。
20年ほど前は子ども会もあったし、ご近所さんとも話す機会は多々あった
(年代や地域により色んな状況があると思うが、
当時住んでいた地域では色んな交流があった)。
子どもって、親が思っているよりも遥かに社会的に育っていく存在だった。
胎内記憶を学んでいくことで、
子育て中に子どもの育ちを邪魔していなかったかなぁと感じることはあるが、
最近は”ごめんね”ではなく、”ありがとう”と心の中で呟くことが増えた。
きっと、今、自分が幸せになっていっているからだと思う。
ただただ「知る」ことで変化が起こる。
これからも胎内記憶を学び、
インプットからアウトプットに変化していきたいと思う。