4月16日、夕方5時のこの写真
がプリンス最後の写真と言われています。彼の本拠地であるペイズリー・パークは塀も低い単なる網で、中が全部見えます。
自転車で、ゲートに向かう何気ない、しかし今はもう見ることのできない姿。
悪意あるパパラッチなどのいない、ミネアポリス郊外のチャナッセンに(都市部からクルマで30分くらい)80年代に拠点をおき、以降レコーディングやライヴをこの場所で続けたプリンス。
プリンスを愛し、96年にミネアポリスに移住した日本人女性マイホさんを、同行したTUNAさんに紹介してもらったおかげで沢山の生の証言、エピソードを聞くことができました。
亡くなってから、二回「プリンス論」に増刷がかかりました。自分に出来ることは、自分に影響を与えてくれたミュージシャンへ、感謝の想いを持ち、音楽家として、クリエイター、シンガーとしてだけでなく、文章や言葉を通じても、次世代に噛み砕いて伝承してゆくことだと思っています。
マイケルの時も、自分の想いだけでは到底辿り着けない場所まで運命は僕を連れていってくれました。
プリンスも、2014年に彼がワーナーに一時復帰したアルバム「Art Official Age」以降、オフィシャル・ライナーを担当し続ける栄誉を授かりました。
昨年の「プリンス論」も、新潮社の編集・金寿煥さん、後藤編集長の一丸となったサポートで、日本人初のプリンス本として完成したものです。
シンクタンク役をいつも務めてくださる Tsunataka Tuna Araki さんとの旅で、本を直接ペイズリー・パークに供えにいけたこと。悲しみや、もどかしさは募りますし、信じられない想いは現場を訪れても消せませんが、自分はいい人を好きになった、心からそう思います。
メジャーでのワーナーとの契約や「CHOICE」、及び数々のカバー、ありとあらゆるラジオ番組、選曲、執筆含め、その尊敬をある意味これまでの通常のミュージシャンを逸脱するレベルで全力で伝えてきました。
プリンスは天才天才と言われますし、僕もよくその表現を使いますが、あらためて考えると、彼ほど努力し続けた人はそうそういないことがわかります。
実は今回の旅は、驚くほど濃密な取材活動を自主的にしたんですが、ほとんど起こった出来事をSNSには載せていません。
また、帰ったあと、様々なメディアで話したり、雑誌に寄稿したり、すると思います。
出来ればある程度のボリュームと、敬意のある場所に語ったり書いたりしたいなと、そう思ってます。よろしくお願いします!