再録:2008年03月13日「草野球の話」 | ノーナ・リーヴス オフィシャルブログ「LIFE」Powered by Ameba

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西寺郷太・奥田健介・小松シゲル NONA REEVES



「LIFE」リマスター・シリーズ
2008年03月13日「草野球の話」




● 今年も、火曜日の午前中は草野球。なんと我が「矢野テクノポリス」は、今年から、神宮外苑で20年以上続いている伝統の「茜リーグ」に加わりシーズンを闘うことになりました。野球漫画の「神」水島新司先生率いるボッツ、ダンカンさん率いる「たけし軍団」など、ともかく東京が誇る草野球界の名門チームが8つどもえで闘う、それが「茜リーグ」。

 そのうちのひとつが今年からヤノテクなのです。これは5年前、チームを作ったばかりの頃は考えられなかったことです(なんせ、ぼくは野球するのはじめてでしたから)。

● 一昨日の火曜も茜リーグ。
 東京は今年一番あたたかく、晴れ渡る最高の天気でした。
 初戦はボッツ。惜しくも負け。ぼくはヤノテク二試合目のたけし軍団戦に指名打者で出場しました。

 ぼくが打席に入る直前、素振りをしていると、三塁側ベンチにいるダンカンさんが、軍団のメンバー数人にポツンと「しあわせだよなー」と声をかけました。

 ベンチのメンバーも、ぼくも急だったのでちょっと「しあわせ、ん?」と思ったら、ダンカンさんが「いやー、こんな最高の天気の日にみんなと野球がやれてさー、こんなしあわせないよー」って続けたのです。
 その瞬間、みんな意味を理解して、相手チームの若いメンバー達が口々に「ほんとっすねー」みたいなことを言ってました。

 なので、ぼくも素振りをやめて「ほんとにしあわせですよねー!最高の草野球日和ですねー」と、ダンカンさんに言いました。
 そうしたらダンカンさんも<あっ、聞こえてた?>みたいな感じでニコっとして「しあわせですよねー」と言ってくれて、みんなで笑い合いました。

 「草野球最高」、「神宮最高」、と改めて思った。2、3年前から試合はしてたんだけど、やっぱり完全に仲間って感じがしたんです。



● 水島先生ももうすぐ69歳になられるというのに、毎週ビックリするくらい元気に野球されてます。軽やかで、上手いんです!
 最近は試合を重ねて、だんだん慣れてきて、ぼくの存在も覚えてもらい、朝「先生!!おはようございます!!!」って声をかけても、顔も向けず「おいっ!」と言って手を挙げるだけ・笑。
 それでいてぼくがわざともう1回「先生!!今日もよろしくおねがいします!!」と言うと、「お前ら今日わざと負けろよ、頼むぞ」などとニヤっとしながら言ったりして、ぼくが「いやいや」とか言ってにごすと、真剣な顔で「頼むぞ!」と言ってきて、こっちが対処に困る、これを毎週繰り返してます・笑。

● 水島先生はとんでもなくすごい。
 一月にはヒューストン・アストロズの松井稼頭央選手が神宮で自主トレをしていたので、ヤノテクのみんなで「うわっ、稼頭央だ!稼頭央が練習してる!」とか、密かに騒いでチラ見とかしてたんです。
 そうしたら、松井稼頭央選手がタタタタってこっちに走って来たんですよ。
 ぼくはその時、フィリーズの赤いニットキャップかぶってたので、ちょっとドキドキしてました。フィリーズは去年稼頭央選手が在籍したコロラド・ロッキーズとプレーオフで対戦し、稼頭央選手に大活躍されて負けたんですよ。ぼくはテレビの前で「稼頭央のアホー!」と叫んでいたので、もしやそれがバレたんじゃないかと(そんなワケはないですが)。

 そうしたら、彼は「先生、あけましておめでとうございます!」と、ぼくらと試合をしている水島先生に頭を下げにきたのです。
 先生は「おぅ、去年大活躍しとったなー、おめでとうなー」みたいな、いつもの感じでした。
 その光景を見て、プロ野球選手もメジャー・リーガーもみんな子供の頃から先生の漫画読んでたんだろうなー、などと感慨に耽ってしまいました。



● しつこいですが、フィリーズ田口選手と糸井重里さんの対談(2008)がめさめさオモロいです。田口選手フィリーズ来てくれてほんと良かった!今年は楽しみやわー!

2008年03月13日
西寺郷太

【振り返って】

2014年03月16日



 6年前のちょうど今頃の日記。日記のリマスター企画、正直ハマってます。

 この時期、熱狂的に僕が応援していたメジャー・リーグの老舗球団フィラデルフィア・フィリーズ。この日記を書いた頃にはまだ知る由もなかったわけですが、2008年シーズンは、フィリーズの120年以上の歴史の中でなんと2度目のワールド・シリーズで優勝した年でもあり、今読むと想い出深いです。

 2007年と2008年は、ほぼ全試合、フィリーズの試合をネットやテレビを駆使して観たんですよ(メジャー・リーグはド深夜か早朝なんで、頑張れば観れたんです)。

 贔屓のチームが「ワールド・シリーズで優勝する」って、実はとんでもなく凄いことなんです。30球団ありますし、もしも順番に優勝したとしても90歳まで生きて確率的には3回。でも強豪で資金力もあるニューヨーク・ヤンキースなどではない場合、その確率は下がります。おじいさんとかで一生叶わなくて亡くなる場合も珍しくない。名門のシカゴ・カブスですら100年以上優勝出来てないんです。それを僕二年で夢叶えちゃったんですよ!

 でも・・・、この頃はまだ Twitter もやってなくて弟とふたりだけで超孤独に応援してて・・・。結局物凄い嬉しかったんですけど、他の仲間(?)と全くシリーズ制覇の喜びを分かち合えない悲しさでぱったり試合観るのやめてしまいました。

 決定的だったのは優勝当日のことです。当時、渋谷公会堂の前にあったメジャー・リーグのアンテナ・ショップの前に大画面のテレビがあって、そこには東京のフィリーズ・ファンが集結してるんじゃないかって、淡い期待を持って僕は出掛けました。

 たまにサッカーとかでも、スポーツ・バーでサポーターが狂喜乱舞とかあるじゃないですか。ずっと応援してた人達と「やりましたねー!」って言いたくて。でも誰もいないんですよ(笑)。一応、優勝したシーンのダイジェストとか流れてたんですけど。で、数十分待って、ひとり感無量で観ていたら後ろに誰かの気配を感じて。「おおおおお!遂に同士が来てくれた!!!」と興奮して振り向いたら、単純に寒いからそこに立って暖をとってたってだけの全然野球関係ない人だったんですよね。目、そらされるくらいの「俺、関係ないし!」みたいなモードで。

 あまりもせつなくて、むなしくてその店を後にしました。ネットで観るとフィラデルフィアは、それこそ阪神優勝の時の85年の道頓堀レベルの大熱狂で。ネットでは繋がってたけど、やっぱり海外のチームを応援するのは若干無理あるよなぁって・・・。

 テレビ放送がリーマン・ショック含む不景気の影響か、激減したのもひとつの要因です。メジャー・リーグの特番とかもケーブルなどでも減ってしまって・・・。

 2009年になると、4月にTBSラジオで「キラ☆キラ」が始まったり、6月25日にマイケルが亡くなったことで、執筆活動なども加速。そこから今までは、怒濤の日々ですね。ノーナの活動も、バンド中心というよりはそれぞれの個人活動に振れた「30代後半の季節」が始まりましたから。流石に毎日野球を観るのは無理になりました。

 2010年冬に、弟の阿楠が三軒茶屋にバー「SUNKING」を開店したこともあり、僕が監督になって草野球チーム「SUNKING ON THE BLOCK」を新設しました。ここでは僕はエースとして、ピッチャーをしています。これもほんと想像つかなかったですね。

 通算勝率は5割くらいですが、とてつもなく強いチームが多いことを考えればなかなかの成績だと思います。

 今年も草野球、3月から始まりました。頑張ります!



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