再録「マイケルと、3人の兄(ジャッキー、ティト、マーロン)を繋ぐ運命-Destiny-」 | ノーナ・リーヴス オフィシャルブログ「LIFE」Powered by Ameba

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西寺郷太・奥田健介・小松シゲル NONA REEVES

【マイケル・ジャクソン・トリビュート/パンフレットの再録原稿です】

「マイケルと、3人の兄 - ジャッキー、ティト、マーロン - を繋ぐ運命(Destiny)」

 79年に発表された《オフ・ザ・ウォール》と、82年の《スリラー》での未曾有の成功以来、「ソロ・アーティスト」として世界中のポップ・シーンに君臨し、「キング・オブ・ポップ」と称されるまでの比類なき存在となったマイケルでしたが、僕が注目したいのは、彼がその50年の生涯のターニング・ポイントにおいて「三つのグループ」に属していたことです。

 まず「最初のグループ」は、マイケルが11歳の時、69年にデトロイト発祥のソウルの名門「モータウン・レコード」から華々しくデビューした「ジャクソン5」。アメリカ中西部、大都市シカゴ近郊のインディアナ州ゲイリー出身の大家族で育ったジャクソン兄弟が、モータウン社長ベリー・ゴーディ・ジュニアの類いまれなるプロデュース能力と、レーベルお抱えの超一流の作詞作曲家・ミュージシャン達のバックアップを得て、数々のヒット曲を放ち続けた時代です。



 デビュー曲〈アイ・ウォント・ユー・バック(帰ってほしいの)〉から、〈ABC〉〈ザ・ラヴ・ユー・セイヴ(小さな経験)〉〈アイル・ビー・ゼア〉の4曲連続全米第一位の記録をはじめ、〈ネヴァー・キャン・セイ・グッドバイ(さよならは言わないで)〉〈ダンシング・マシーン〉など今も色褪せない「ソウル・クラシック」の宝庫。兄弟達の息のあったダンス、コーラス、ダイナミックなパフォーマンスと、天才シンガー、マイケル・ジャクソンの瑞々しい歌唱は今も映像や音源に真空パックされています。

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 「二つ目のグループ」は、76年、ジャクソン兄弟がモータウンから裁判沙汰にも発展しながらエピック・レーベルに移籍、再始動させた「ジャクソンズ」です。個人的には、この「ジャクソンズ」期がマイケルのキャリアの中で最も心を奪われる時代です。「ジャクソン5」と「ジャクソンズ」は、名前こそ一文字違いで良く似ているものの、基本的なポリシーがまったく別次元で成り立つグループでした。



 モータウン時代の「ジャクソン5」に求められたのは純粋に優れた「シンガー」「パフォーマー」としてのマイケルと兄弟達の姿でした。デビュー時は、憧れのモータウンの作家陣による鉄壁のプロダクションとの歯車が噛み合い破竹の成功を収めていた彼らでしたが、あまりの露出過多、メンバーもそれぞれ次第に大人へと成長してゆく中で「チャイルド・スター」としての「旬」は70年代中盤には終焉を迎えていました。兄弟達は、自らで作詞・作曲・プロデュースを試したいと「創作の自由」を強く求めましたが、モータウンはかたくなに許可せず、彼らを規制し続けました。その結果、社長ゴーディの愛娘ヘイゼルと結婚していたことからモータウン残留を決意した三男ジャーメインが脱退。しかし、音楽的なイニシアティヴを握るマイケルを中心に、新メンバーに加わった当時14歳の末弟ランディを含む兄弟達が協力して、自らがソングライティングの出来るバンドへと成長してゆきます。

 その後、幾度かの挫折を経て、遂に78年、兄弟達はサード・アルバムであり勝負作となったアルバム《デスティニー》で、彼らは力を結集し念願のセルフ・プロデュースでの大成功を収めるのです。

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 そして、「三つ目のグループ」が、85年、スティーヴィー・ワンダー、ボブ・ディラン、ビリー・ジョエル、ブルース・スプリングスティーン、ダイアナ・ロスなどのアメリカ音楽界のスーパースター達が集結し、アフリカの飢餓を憂い、行動に移した「USA・フォー・アフリカ」です。マイケルが、盟友ライオネル・リッチーと共作した〈ウィ・アー・ザ・ワールド〉は、彼が名実共に「世界一のソングライター」であることを証明する代表作となりました。そして、〈ウィ・アー・ザ・ワールド〉は単なる「楽曲」を越え、マイケルのライフワークである「チャリティ精神」の結晶として、その後の指針となりました。マイケルが以後に制作したメッセージ・ソング〈ヒール・ザ・ワールド〉〈アース・ソング〉〈ホワット・モア・キャン・アイ・ギヴ?〉(マイケル・ジャクソン&フレンズ名義で制作)などのさきがけと言っていいでしょう。



 そして、この「三つのグループ」すべての局面においてマイケルと協力し続けたのが、他ならぬ今回、来日公演を行う現在のジャクソンズ=ジャッキー、ティト、マーロンの3人だったという事実を指摘したいと思います。あまりにも普段から謙虚な彼らは、自分の凄さをアピールしたりはしません。しかし、僕に言わせて下さい(笑)!彼らは少年時代からマイケルと共に故郷ゲイリーでの下積みと厳しい鍛錬を繰り返し、十代でニューヨークのアポロ・シアター、シカゴのリーガル劇場など錚々たる超一流のステージに上り詰め、モータウンとの契約で成功の階段を上り、空港やホテルで押し寄せるファン達から身を隠し、枕投げをし、過酷なリハーサルと、レコーディング、取材、撮影をこなし、マイケルと共に移籍の荒波も乗り越え、自作曲をレコーディングし、プロデュースし、世界中のあらゆるステージで観客を熱狂させてきた真のスーパースターなのです!単なる「マイケルの兄」じゃないんです!ポップ・レジェンドなんです(落ち着きました、すみません)!!!

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 ひとりひとりの紹介を簡潔に。

 ジャクソン5時代は、幼いマーロンとマイケルを従えて巨人のように見えた長男ジャッキーは、地元のメジャー・リーグ球団シカゴ・ホワイト・ソックスにショートとしてドラフト指名されたほどのスポーツマンであり、ソウル・マナーにのっとったハイトーンのファルセット・ヴォイスが特徴。スウィートなルックスと、鍛え上げられた肉体でのダンスは「ジャクソン5」「ジャクソンズ」期を通じて女性達の憧れの的でした。



 ジャクソンズ時代には〈キャン・ユー・フィール・イット〉〈トーチャー〉などの代表曲のソングライティングも手掛けています。彼の素晴らしさは、ジャクソン家の長男でありながら、「自分が、自分が」と前に出るのではなく、弟でフロントマンの資質のあるマイケル、ジャーメイン、マーロンなどを常に後方から支え、バランスを整えるという「プロデューサー」的視点で、グループの手綱を握っていること。この「トリビュート・ライブ」に先駆けてロンドンで行われ、僕が司会を務めた記者会見では、東日本震災で親を亡くされた子供達のことを想いながら泣き崩れたジャッキーの優しい姿に、そこにいる者すべてが心を打たれました。

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 次男ティトが幼い頃、地元のアマチュア・ミュージシャンであった父親ジョーが大切にしまっていたギターを無断で弾いて練習していたこと、そしてある日運の悪いことにギターの弦を切ってしまったことが、ジャクソン5結成のきっかけとなったというエピソードはあまりにも有名でしょう。発見当初は激怒していた父親ジョーが、「ふざけて触っていたんじゃないなら、どれだけ出来るか弾いてみろ」とティトに命じたところ、その素質に驚き、すぐに赤い子供用のギターをティトの為に買ってきたそうです。

 その日から、ティトは今に至るまで「生涯一ギタリスト」として、一貫したキャリアを歩んできました。比較的「エンターティナー」としての資質を持つ者が多いジャクソン家の兄弟・姉妹の中で、末弟ランディと共に「ミュージシャン」としてのアイデンティティを守り、揺らぐことがなかった存在です。「音楽そのものが大好き」という、その純粋な姿勢は、ここ数年、頻繁に行われているソロ・アーティストとしての日本公演でも垣間みれます。今年の初夏にも、震災の影響で来日をキャンセルするアーティストも多い中、ティトは来日公演を予定通り敢行してくれました。心から感謝しています。



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 四男マーロンは、マイケルと同世代。「双子」のような関係を過ごした唯一無二の関係性を持つ間柄。幼い頃から同じベッドをマイケルと共有し、ふたりで語らいながら毎夜眠りについたというマーロン。歌やダンスの天才として、何事も器用に覚え、すぐにこなした弟マイケルと常に「理不尽な比較」をされながらも、結果的に(特に三男ジャーメイン脱退後のジャクソンズ時代において)ダンサー、パフォーマーとしてマイケルと「2トップ」の関係を担う存在に成長しました。繊細でありながら神懸かり的なステージングで魅せるマイケルと対照的に、その陽気なキャタクターを全面に表したエネルギッシュで天真爛漫なサーヴィス精神でステージを引っ張るマーロンは「ジャクソンズらしさ」の象徴とも言えます。



 マーロンの優しさ、マイケルを想いやる気持ちは前述のロンドン記者会見で僕が披露したエピソードに集約されていると思います。それは、84年の「ヴィクトリー・ツアー」の全米公演中のこと。ちょうどその時期は、《スリラー》がギネス・ブックのアルバム・セールス記録を塗り替え、マイケルの一挙手一投足がメディアから注目され、ファンの熱狂も暴動を呼ぶほどヒート・アップしていました。ツアー中のジャクソンズが移動中は、もちろん屈強な警備員がマイケルを中心に兄弟をガードしながら、押し寄せるファンから守っていたのですが、ある時、群衆がマイケルに殺到。多勢に無勢で恐怖の瞬間が訪れたその時、なんととっさにマーロンが警備員とともにマイケルを守る盾になり弟を守ったのです。自身がジャクソンズのメンバーでありながら、危険を顧みずマイケルを救ったマーロンの姿に僕は涙してしまい、この時の「お礼」を直接伝えたいと決意していました。会見でのマーロンの紹介場面でこの話をしてみると、その時のシーンを思い出したのか、マーロンも泣いてくれて、僕はどうしようもないほど感動してしまいました。

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 さて、今年の10月、英国のカーディフで4万人のファンを集め行われたマイケル・トリビュート・イベントで、僕は「はじめて」再結成したジャクソンズのライヴを見ることが出来ました。その時、彼ら3人から放たれた「ヴァイブス(波動のようなものとしか表現できないのですが)」は、まるで「マイケルの魂」がまるでそこにあるような、愛に溢れた不思議な感覚が全身に浸透してゆくような幸せな体験でした。ジャッキー、ティト、マーロンは、「ジャクソン5」であり、「ジャクソンズ」であり、「USA・フォー・アフリカ」でもある。マイケルのそばにいた大切な存在であり、ひとりひとりが輝きを放つ伝説のスーパースターです。



 38年ぶりの日本公演。ファンの皆さんと分かち合えることが、本当に嬉しいです。これもまた「運命(Destiny)」。マイケルと兄弟達の生み出した「とてつもない音楽」は、我々の心に永遠に鳴り響くことでしょう。ようこそ、日本へ!ジャクソンズ!


西寺郷太 / NONA REEVES (スーパーバイザー)