「リトレストシングス」BYリリーアレン


ときどき私は座ったまま自分がぼんやり
過去のことを思い出しているのに気づく
たとえば周りにいる子たちがみんな
キスしてるのをひとりで眺めている時


それからきみが私のことを彼女と言いだした頃
そんなときのことを思い出す 戯れのすべてを
あらゆるふざけ合いを 私はきみに子供の頃の
悲しかったことを話した 理由なんてなくても
きみのことは信じられた 私たちは週末全てを
ふたり汚れたままで過ごした きみのトランクスと
Tシャツを着た私はすっかり有頂天になっていた


夢だ 夢だ
すべてがまだ始まったばかりの頃の
夢だ きみと私の夢

たぶん そうなのだ 私はきみとの思い出を
振り棄てることなんてできない きみもこんな風な
夢を見ることがあるのだろうか


ほんの些細なことで引き戻される
甘過ぎるお話のようなこのリアル
分かっちゃいるけどフェアじゃないよ
思い出すのはみんなきみのことばかり
演技でもいいからとさえときどき思うんだ
ほんの1度きりのウィークエンドだっていい
だからねえ聞かせて 私たちもう終わりなの


ベッドから出ないで紅茶を飲み DVDを見てるとき
きみのサイアクな雑誌をみんな見つけてしまった
きみは買い物に行こうといいだし私たちが買った器具
まるで気晴らしになるものが欲しかったみたいだった


きみの友達に紹介されたときは 私が緊張してるの見て
そっとてを握ってくれた 落ち込んでるときにはいつも
きみがして見せる顔 この世界中できみの代わりになる
ひとなんかどこにもいなかったよ


ほんの些細なことで引き戻される
甘過ぎるお話のようなこのリアル
分かっちゃいるけどフェアじゃないよ
思い出すのはみんなきみのことばかり
演技でもいいからとさえときどき思うんだ
ほんの1度きりのウィークエンドだっていい
だからねえ聞かせて 私たちもう終わりなの


ねえプー、僕はもうすぐきみとお別れしないといけない、もうきみとは遊べないんだ。と、くまのプーさんのラストでクリスフトファーロビンが言いだす。どうしてなの、というと「学校に行かなくちゃいけないから。」学校に行くということは大人になっていくということ。大人になりたくないんだ、と彼は言う。「大人になると僕のいちばーん好きなことが出来なくなっちゃうから。」きみのいちばん好きなことって何なの、とプー。これはレーザーディスクで観た。
1980年代後半、家庭用映像再生機器の選択肢として「ビデオなのかLDなのか、」という時代があったらしい。LDの方が画質がいいとかで
、父はVHSを買わずにLDを買った。だから現代の子どもがDVDといえずにプーさんのびーぶいびーみたいとか言うみたいに、「レーザーディスクが見たい」と私も言っていた。ただ暗いのだ。何か滑稽なのだ。出すときの「ガーガーーガーガーーーガチャ」という音とか。ビデオみたいに刻むように進めたり巻き戻したり出来ない点であるとか。何かの枷のようでもあった。ガーガーガーーガーー、「何もしないってことかな。」彼の答えは子どもの頃の私には衝撃的すぎた。
何もしないということが子どもの頃から何か恐怖で、幼稚園を休んだというだけで何かして紛らわしておかねば罰が当たるような気がして、薔薇の絵を描いたりしていた。べつに薔薇であらねばならなかった事情もないが、ただ単に花弁のかずが多くて安心だったのだろうと思う。安全弁としての花弁であるわけだから。薔薇そのものはアルコールのようであまり好きになれない。砂糖菓子はかるいのにわざわざ重い花弁をモチーフにして質感を台無しにしている気がする。
砂糖、は何もしないことの比喩のようだ。私の生活のなかではそんな感じだ。たとえば夢のなかだと、こういう事に頓着しない脳がフルに稼働しているためか、「砂糖をかける」と発言しただけで「何もしないことを選択する」という意味で会話が成立したりする。よく、夢をカラーでみるか白黒でみるか、というような話があるけれど私はむしろ、起きているほうがボワッとしてみえる。夢の中にいるとき、たとえば昨日飛行場でチケットもぎりの外国人の女の子が手持ちぶさたに包丁でリンゴを剥いているという夢をみたとき、じぶんの手にリンゴの質感が余ってくるぐらいの統一感のある現実体、ああいうのが夢じゃなく起きている時にも手に入ったらナ、などと思うのだけれど夢のレベルに、起床時の意識が到達するのは困難そう。
「僕がいちばん好きなのは何もしないっていうこと。」そんなの子どもの頃は意識して、選択したことがなかった。何を言っているんだろうと思う。「プーさん、最後のところ怖いよね。」怖い、という言い方でしか問いを排除できなかった。問うことは恐ろしいというのはだいぶ原始的なレベル。原始的なものに片付くことで安心したい、わざと幼ぶるというのは幼稚園ぐらいでもう、周りをみても身につけていたように思う。「それが出来なくなるんんだよ。」ロビンほんとうは何にも出来なくなることなんかないのだよ。風船でハチミツを取りにいってる世界で何をいうの。「だからね、プー、」きみは僕の代わりにずっと、それをやってくれる?「約束するよ!」しちゃうのかよ。「僕が100歳になってもだよ笑?」※台詞は当時の記憶をもとにしているの
で相当うろおぼえです「ひどいなお前っていう人間は!」お父さんの怒声、ジャマです!「きみが100歳になったら、僕はいったい何歳になるのかなあ?」99歳さ、おばかさん。(←ほんとうにこう言った。)
~FIN~
最低って何のこと?
「ひとが大事なものが何なのか気になる。」とのらちゃんが言っていた。というかメールで。あんまりこういう議論ばっかりしてもナ、とはつねづねいろんなとこで思うし、議論それ自体はひつようじゃないと思うんだけど。「ひとが大事なもの、」まず私から始めよ。私の大事なもの?「無い。」最低って何のこと?「ないわ。」マジで思った。
楽しかった 日光修学旅行 修学旅行 「共に学び、共に遊んだ日々」「たくさんの思い出を」こころのページに焼きつけて いま母校の丘を飛び立っていきます …「感謝の気持ちとか?」
ねえ、あーちゃん聞いている?大事なものって何とか聞いてもいい?あーちゃんの大事なものって何?感謝の気持ち?理解してくれる友達?愛する家族?その他もろもろ?生かされているということ?その自覚?才能?プライド?他人のために自分を犠牲にできるということ?優しさだとか?「愛しているひとたち。」と、やっぱり周囲に恵まれている、愛している人たちという答えを聞いて、自分もそうであるようだけれど何か違うと思った。たとえばみんな無事でいますように、ってあんまり思わないしナ。母親になったりしたら違った感情が他人に沸くんだろうけれど。まだ幼いしね。無事でなくなる場合でもエキサイティングだし一緒に修羅場をやるのだって楽しいよなーと思う。たけちゃんの絵がもっとみたいです!という子がいたから「あたし気がくるっているようなたけちゃんがみたいです!」と書き連ねた。これだって愛の告白なのだコリーダ。アイーダ。って何か音楽の授業でやったよね。土壇場で毒薬とか飲むアレ?いや窒息死だっけ墓場で。エジプト版のロミジュリみたいなの。スリムなラダメスはアムネリスにラブラブはダメデスと言った、って登場人物覚えたように思うんだけど登場人物をごろ合わせより先に言わないとダメなのがこのゴロ合わせの欠陥。
空の青さを見つめていると…って空から青さは外れるのか。空から青が不足することなんかないよな。けれど空は青を指向している。染まっている、というよりはもともと青いもんだったんだろうなという感じ。さいしょから青いのだ。それでいて青が、選択されているという愛情の弾力がつたわってくる。大事というのはそんな感じ。空にとって青なんて色は無い。というか空にとっては色ってなんなのという感じだろうと思う。ピンと来ないしそのひつようもまた、無いと思う。青を対象化して美しい絵もたくさんあるけれど、含有しているのと観賞するのとじゃスタンスが違う。嫉妬したり尊敬したりっていうような隔絶を超えて乗り移れないかな。空の青との一体感、あの観賞のないスタンスは憧れる。しかし空はそうすると盲目の目の青さなのかな。あれはごめん、好き。老いてああいう目になれるのなら老人もたのしみ