「こうしているとき、音のない飛行機がきて、爆弾を落としてくれたらって、そう思われない?」これは彼女自身も気づかぬ愛の告白だった。


「映画館にいるときに爆弾が落ちてきたらいいのに。」と思う。あの独特のあたたかさ、人いきれのある感じ、妙にしめった感じ。理想的に近くて眼を合わせることない他人との距離。時間をひっぺがされて、外界と隔絶した感じ。はいるときと、出て行くときとでタイムスリップしたかのように、まったくいつもの風景が変わるあの経験。あそこに、箱詰めにされているあいだ、音のない爆弾が(ストーリーを疎外しないようにマナーモードで)やってきて、ガーンと爆撃があれば、などとかんがえる。そしたら物語の結末をあじわわなくて済む。
「君は親切だね。」と、しずかな白髪頭のイタリア人元俳優元医者のエミリオは言った。でも、
「道が分かったわけじゃないもの。」「いいんだよ。」「あもう私クラスに行かなくちゃいけないの。」「そうか。残念だなあ、クラスには友達がたくさんいるのかい?」「うん」彼は白髪の頭で
「理解してくれるかい?」
と言った。
私は黙らざるを得なかった。エミリオだって、私と会ってからまだ3時間ぐらいしか過ごしていないのだ。いったい、私の何を見て友達に「理解してもらえるのか」などと言う気になったのか。
「分かるよ」と彼はいい、「きみはちょっと、普通とちがうからね。僕は眼がいいから、そいつが何を考えているか、どんな精神の持ち主かが分かるんだ。」「ふうん」「おそらくきみの友達ってのは、あたまが良くて繊細な人間だろう」
それはきみが特別すぐれているということなんだよ、というので、言わなくちゃいけないという気分になって私は
「けど」
とさえぎった。「私じぶんを観て、ほかの人よりも弱いと感じるところがたくさんあるの。だから、それを追い出すためにいつも努力するんだけど、ほかの人には、私が何に躍起になっているのか分からなくて私を恐がったり、クレイジーだと思ったりするみたいで、あんまり私が弱いってことは理解してもらえない」
と言ったら、「きみは多くを考えすぎるからいけない。」といい、「そう思うし、考えること事態が害悪になってると感じることもあるんだけど」「ほかの連中はだいたい、考えないからね。植物人間みたいに、こうしてただ生きているだけだ。そんなに考えたりしないから」
と、いまいましそうに銀杏並木をあごでしゃくった。

私のスケッチブックをみて「いいデザインだね」といい、「デザインじゃないよ、その人の姿をかいた肖像だよ。」と私が言い返した。「これは男性。」
「すごく悲劇的な雰囲気のある人だったから、その人の顔をスケッチするより、女性の脚や髪の毛のほうがその人の精神に近い、と思ったの。だからこれは脚と髪の毛だけど、そのひとの顔でもあるの。」
「彼女には眼が一つしかないんだね。」「ああ本当だ」「いいと思うよ。そのほうがストロングだから」
私はじっと見て「これは眼じゃない」と言った。
「きっと私これ、脳をかいたんだと思うわ。感情が、集中しすぎていると感じたのよ、そこに。顔の中で感情を代表するのは、いつもは二つの眼だけど、ほんとうなら脳一つでしょ。脳だったら、一つで充分ストロングなものだし。これは彼女の顔の中にある脳だと思う。」
エミリオは神様を信じていないと言った。「きみは信じているの?」と言うので「じぶんじゃ手に入れられなかったような偶然が手にはいったとき。」と答えておいた。ヨーロッパに生まれたひとならば、はっきりと「神を信じない」と言うのは何か、めずらしいような気がしたので「信じてない」といわれたときつい「それってあなたの人生における悲しみのせいなの?」
と聞いてしまった。会ってから1時間程度のうちに。
エミリオは奥さんを亡くしてから、再婚しなかったことを話すときが凄く悲しそうだった。ただそれと、神様の話しをつなげて私の中で考えることは避けた。乱暴すぎるからだ。宣教師が、キリスト教に改宗することを各国の土着の信仰に対して強制したことに、エミリオは不信感をいだいているらしかった。地球儀や鏡をもっておどかして、というくだりで「ああまるで子どものおもちゃみたいなものね。」
とあいづちをうったときに、私たちは一つの会話をしているような気がして親しかった。けれどこういう友情ばかりを持っているのはそれはそれでいやだった。それでスケッチブックと言われた肖像画ノートをみせて「精神と物質はべつのものじゃない」と言おうとした。「物質を写そうとしたんだよ。けど、精神を取り除くことが出来ないから、こんな物質じゃないような、ぐんにゃりとした形になるんだよ、スケッチすると。だから、精神と物質はべつべつのものじゃない。どっちも互いを失うことは出来ない」
私たちは親しくなって別れた。
「じゃあ私イタリアに叔父さんが出来たってことね。」と言うと「世界中だよ、」と言った。確かにこのままいけば世界中叔父さんだからけにならないこともないと思ったりしたが、
「世界中だよ、僕はカンボジアにもアマゾンにも、軍について行ったことがあるからね。きみが助けを必要としているときは、どこにだって行ってあげるよ。」と言った。さいしょに路上で会ってから3時間ぐらい経っていた。