仮説その1:京都大阪神戸では「見てみい」

岐阜
「見てみぃ人がゴミのようやげ~」
京都
「見てみイ、よそさんがゴモクみたいやがな」

大阪
「見てみい!ひとがゴミのようやでっ!」
神戸
「見てみ、人がゴミみたいや」
「見てみ、人がゴミみたいやわ」
「見てみ、人がゴミみたいやん」
「見てみ、人がゴミみたいにおるで」
「見てみ、人がゴミみたいにいてるわ」

岡山
「みてみー人がごみみてーじゃな」
「みてみられ人がごみみてーじゃが」

「ほんとにつかぬことじゃなwww」
「いまプロ野球萌えです」

岐阜から京都大阪神戸、その辺りまで「見てみい、」愛知などは「見やー」としている。しかし採取したのは名古屋弁であり、三河弁については分からない。


仮説その2:富山石川新潟山形では命令形するとき呼びかける

新潟
「ほれ見なせや、あちさんがゴミみてぇられ」

石川(金沢)
「ちょっとあれ見てま!人ゴミみたいやよ!」

富山
「あんた見てみられ。人がゴミみたいやがぜ。」

山形
「ありゃー、みーでみろ、まんず、ひいとゴミみでーだどれー」

(庄内)「人がのぉー、ゴミみだいでのぉー」
(村山)「ひぃと、ゴミみだいだニャー」



「見ろ人がゴミのようだ」で変換をお願いしたのは共通なのだが、石川・富山・山形・新潟の4県の場合に「呼びかけ」の表現が伴った。この地方では文の冒頭で命令するとき、動詞の命令形とはべつに、呼びかけの感動詞を伴うほうが自然なのか?それも「あ」で始まる音が使われる傾向が強い。


仮説その3:「福」の字ではじまる県のひとはわざわざ電話してくれる

福島
「見い、あいつらゴミみてーじゃね?」

「見い?ってちょっと上がる感じ。ああうまいうまい」

福岡
「見てん、人がごみんごたる。」

「見て、でアクセントはてかな。そこにアクセントを置く感じ」

今回はほとんどメールで「見ろ人がゴミのようだ」の変換をお願いしたのだが、わざわざ電話してくれた。電話で直に話さないとアクセントが伝わりにくいらしい。ていうか親切。なんて親切。福という字がなんだか福来る感じがした。


仮説その4:沖縄以南のひとはわざわざ地元の友達に電話してくれる

沖縄
「んちんでぃ、ちゅがグミぬぐどぅーさ」

実家どころか、地元の友達の親御さんに聞いてくれたらしい。なんて親切。いま、奄美大島よりもさらに小さな徳之島という島の友達にも聞いているのだけど、彼女は「いまお母さんつかまらなくて、明日でいい?」とわざわざ返信してくれた。いや本当えっちゃんにもえっちゃんのお母さんにもおもさがながんす。ムスカついに奄美大島よりも小さな徳之島まで行ったよ。ていうかくだらないことに巻き込んでごめんなさい沖縄の方と奄美大島の方。でも、これできたらすごい感動するんです。すくなくとも私が個人的出るほど。