ふと気になったので筆を起こす。いま空海にハマりつつあるけど、おそらくここでは空海のはなしは出ないだろう。ただ、空海に言及しといて何もないのは何だから言うと、彼の本名はまおちゃんである。真魚。すっげかわいい名前。わりといいうちに生まれ、しかも兄ふたりが早くに亡くなって繰り上がり長男だったせいで、親の期待も厚く、役人になって家名を興すことを期待されていながら、大学で何かに駆られて中退し、仏道の修行にはしる。このとき、不忠不孝者と罵られたことで「仏道の修行がなぜ道をはずれることになりましょうか」と返す主人公のある「三教指帰」という有名な書物をあらわしている。空海このとき24歳。ちょっとKみたいな感じがしなくもない。夏目先生はやや禅くさいところがあるし、インテリだから三教指帰ぐらいは読んで思うところがあったのだろうが。読み方はさんごうしいきであり、さんぎょうとは言わない。これについて、最澄のあらわした書物と区別するために不自然な読みにした、という説がある。また、最澄との不仲とか袂を分かった確執とかについては伝説がいろいろあるが、いずれも「これ空海悪くねーじゃん」というようなものばかりである。


伝説その1:空海が仏典を貸してくれなかった伝説。

あるとき最澄が空海に、ある仏典の注釈書を貸してくれとたのむ。しかし空海はことわる。
てめえこの野郎ケチくさいこといいやがって、とは言わなかっただろうが、最澄のほうが歳は7歳もうえだし、唐に渡ったころなんかあっちは還学生でこっちは留学生、いまでいう教授と学生ぐらいの身分の差があったにもかかわらず、たかがノートを一蹴したというので失礼な奴だと風評が立ち、また空海にも言い分があるとかで双方袂を分かつことになった。

てか、空海はこのとき正義感があって最澄を一蹴したのである。最澄がこの直前、『依憑天台宗』という書物を出していて、他宗派の祖師をめった斬りにした。けっきょくは天台がいちばん、ほかは物真似、というのがストーリーで、中には密教の師である不空というひとも含まれていた。これに空海はカチンときた。にも関らず、空海に『貸して』と言ってきた中に『理趣釈教』というのがあり、これはその不空の考えが盛り込まれた仏典だったのである。それを必要だから貸してくれという。あれだけボコボコにしておいて。しかしそれは不空であり空海はべつに不快でなくても良かったのだが、

「筋が通ってない」という思いが立ったらしく、「貸せません。」と最澄を一蹴してしまった。この辺が司馬遼太郎が肩入れしまくって「空海の風景」という大作に仕上げさせた上で「こういう天才はあんまり、側へいてもらっては困りますねえ」などとベタ惚れのコメントを寄せさせる由来であろうと思う。日本史でならうぐらいのスーパー坊主のくせして、いやに人間にもてる人柄である。ていうか、もてるどころかこの最澄の弟子にもててしまった。

泰範というのがそれ。もともと最澄の愛弟子で、いずれは跡目を継がせたいぐらいの有望株だった。しかし、山で仲間と争いがあ

ったとかでいづらくなり、山を降りてしまう。野にさすらい、それでも最澄から戻って来いと催促の手紙がくる。山がいやなら来春、いっしょに全国を旅しようかとまで言って来る。泰範はこまってしまう。師にここまで言われては無視するわけにもいかず、さらに彼はあたらしい師についてしまっていた。空海である。もともと最澄に密教をさずけたのは空海だというし、ノートの件でもなければよほど対立することもなかったのだろうが。この泰範はこまり、こまった挙句にこの新たな師の袖を引っ張って「師にことわりの手紙を書いてください」とたのむ。空海はわるくない。ただ慕われた結果だったのだろう。


それにさらに、空海が高野山をひらくにあたっての下敷きを、この泰範にやらせているから「空海が最澄の愛弟子を奪った」といわれてもしょうがないように思えるが。とかく、空海は出世街道をすてたことに関しても「三教指帰」という歴史で答えてしまう点や、いかに密教の師とはいえ不空のことも義理から憤慨して「貸せません」と言ったり、最澄のところから自分を慕ってきた弟子もはらわず「師があまり手紙を送ってくるから書いてくれ」と言われればその通り書いてしまう。そして余計にこじらせる。まったく、シバ作品に書かれるために生まれたかのような快男児スーパー坊主空海。シバ作品すきなひとにはなんとなく、かれがシバヒーローの典型にちかいことを上記のはなしからも感じ取ってくれるんじゃないか。現にシバヒーローでもあるし。あと、三教指帰の冒頭を読んでいて「このひと小説家じゃないかなあ」とか思うほどの鋭さだったのだけど、はなしによれば架空の人物設定、リーディングドラマ設定はこの空海の三教指帰がはじめてなんだとか。


あと弟子によれば伝説その2「下書きをしない。」筆が落ちるところで物語がすらすらっと出てきていたとか。さすが空海ダビンチ。言わずもがなですが彼は筆もうまい。唐にわたったとき、4艘あった船が難破して2艘しか着かず(うち1艘に最澄、1艘に空海が乗っていたというカルマ)ぼろぼろのあまり海賊かなんかと間違えられて役所が通してくれなかった。そこで、大使が空海にちょっと来いと言って手紙を書いて貰った。役人が、その筆のうまさと文章の拡張の高さで「これは」と目を見張り、やっと本物と認められて通してもらった、というはなしもあります。さすが空海。いまでもなんかワープロソフトであるらしいし、正式文書はやっぱ空海デネ☆ってことなんだろうか。このはなしまであのワープロソフト会社が踏まえてたらリスペクトするっての。で、なんのはなしだっけ。


あナベ奉行のはなしだった。ナベ奉行ってひと本当にいるのかしら。あれってふだんからいろいろ細かいのかな。夏物と冬物を入れ替えるタイミングだとか。タンスにも奉行とか欲しいよね。そしたらキャミソールとかもっとていねいにしまうし。てか服多すぎだよ俺。
そういえば、この三教指帰、主人公はぼろぼろのみなりのやつで、そいつが「仏道修行が不忠不孝になるはずがない」って主張するのですが、やっぱKみたいですね。で、冒頭で空海がまえがきみたいなもので「これは自分の甥に、どうしようもないのがいるから、そいつの為に書くのだ。他人に見て貰おうとは思ってない」と言ってるんですが、この甥がほんとうにいたかは不明。ていうかいなかったと思われる。なぜなら漠然とした僧への堕落を追及しようとしてると考えるほうが、若き空海の苦悩としてもっともらしいから。なぜ想像のつくことを殊更に言いたかったかと言うと、こころって、叔父さんへの不信から始まりますよね先生。先生は甥だったんですね。栄達をあきらめてあえて仏道をえらび、不忠不孝と言われて、惨憺たる生活をしていたKに「精神的に向上心のない者は馬鹿だ」と言われる。あとKが死んだ時、西枕で寝たとか。いわゆる浄土のほう。うーん、こころをかけあわすと面白いかもしれない。僕は馬鹿だが楽しくてしょうがない。