十時半。
時ちゃんが帰ってこない。またどこかをほっつき歩いてるんだろう。
そう思ってた。
けど、
そうじゃなかった。時ちゃんは、もう別のところへ還ろうとしてた。
その場所を見つけてたんだ。
そのほうがいいのに決まってる。私だって、こんな所すぐさま抜け出したい。けれど
父や母はどうなるんだろう・・・べつにどうなってもかまいやしないのだけど・・
けど、
「姉さん、時坊はどうかしてますよ」
まったくそのとおりだ。時ちゃんのお父さんの言うとおりだ。間違っちゃいない。
貧乏なのはちっとも恥ずかしいことじゃないと、そう教えてきたんじゃないか。だのに、時ちゃんはびんぼうに負けた・・
時ちゃんの手紙。
「どうかおこらないでちょうだいね。私、あなたのことも話したの。たいへん困っていらっしゃるからと。そしたらね、あなたのことも面倒みてくれるって。あなたのことも、何とか月に幾らかしてもらえそうなの。そうしたら私うれしいの・・」
私うれしいの、まで読んで手がふるえた。
「時ちゃん、その指輪どうしたの。」
そう訊いたとき、ほそい指をぱっと隠した。あのとき気づけばよかった。あんな小さなダイヤ一つで、かけがえのないきれいな心を売ってしまうなんて、何て馬鹿馬鹿しいんだろう。時ちゃんが転がった階段のした、まだひざの下にあざが出来てるはずだ。手当てしてやったのは私だのに、れいの、爆発するエンジンの音が時ちゃんを連れ去った。
私うれしいの・・・
食欲と性欲!!食欲と性欲!!
時ちゃん、あんな若くて頭のいい子が、どうして負けてしまったのか。くやしくてくやしくて敵わない。あんな、五十がらみもいやらしい男、老けているばかりでちっとも時ちゃんなんかに似合わない。あんなきれいな子、時ちゃんは心がきれいだったのに、その乙女の最初のベエゼを、あんな男にくれてしまっただなんて・・!!!
むらさき色のコートの毛皮を、そっと思い浮かべた。その上を車輪が走った。うなりを立ててエンジン音が引き裂いた。時ちゃんはどこに運ばれていったんだろう。うんと遠くに行けばいい、もう戻ってこれないほどに遠く…横浜の歌の、暗い港のところを思い出して歌った。あの車ごと港に落ちて、暗い海にしずんでしまえばいいと思うのに塩辛かった。
ものっっそいウロ覚えの放浪記。林芙美子はブロガーだったのだろう。カフェの女給の見舞われない日記がヒットした、みたいな。何より不幸だし毒舌だし詩人だし不良じみてるし。ややMだし。このひと正月を『地球をブン回してダーツが止まった日をみな有難がってるだけ』とか(不正確だが)言っててどんだけ見舞われてないんだろうと思った。放浪記は詩のとこだけ好きなり。で、『食欲と性欲!!』は泣くようにフォント4ぐらいで言ったら面白かろうと思ったのでやった。ベエゼってのは原文ママなんだけど昔はそういうガーゼみたいな言い方をしたんでしょうか。