※見れば分かると思いますがものっそい長いです。注意。


世論に迎合するわけじゃないが人の10割は顔に出ると思う。顔という借金取りから逃れられる要素があるんだったらその人の本質じゃないのにちがいない。たとえばゴミを何時に出すか、とか封筒の開け方だとか、そういう類のことだったら顔に出ないんじゃないかと思われる。いや書いてる途中で「出るんじゃないか」という気さえしてきた。とかく、顔に出ないと思われるのはそういう砂糖のグラム数みたいなことで、ほかはだいたい顔さえ見ればわかるんじゃないかと思う。

たとえばクドカンである。
クドカンについて知っていることは少ない。品揃えとしては場末のお土産や程度である。その一部を披露すれば、映画嫌われ松子の一生で太宰治の生まれ変わりとして出演していたこと、またビールのCMに出ていること。あとはゼブラーマンの脚本を書いていたこと。またその当時、深夜のバラエティ番組に出演して「ゲームセンターのパンチゲームで勝つのはどっち?①パンチゲーム ②哀川翔」という二択を②哀川翔の目の前でやらされていたことぐらいだ。べつにどういう焼酎がすきかとか、レポートは何回までコピー可能かなどといった人となりは知らない。しかしあの顔をみればクドカン全巻制覇とまでいかずとも、インターハイに行くかどうかの4ヶ月ぐらいの内容は見て取れる。貸してくれそうな漫画も想像がつく。作者の心象スケッチという点では顔自体が漫画もいいとこだし。起承転結、なくはない。


また実際に作品を読んだことがなくても、資料集で太宰治を見たことがあるひととは太宰で語れる気がする。あの角度、あの湿気、あの前髪。
かえすがえすも人は見た目が10割、表示する記号が笑いと違ってないから書けないが「~目が10割(嘆息)」とでも読んでほしい。太宰の前髪をゆらしているのは風でなく、世間から彼の内面に対してふいている圧力である。感じ取ることが出来れば写真で人間失格が読める。みて取れるとも言う。初代人間失格が天皇のオンナをかついで逃げた人であるとすれば『富岳百景』、直系ではないにしろ彼は自分をなりひらにならせて貴種流離譚を描いてしまっているのだが、ここで「人は見た目が10割」論に関する重要なキーマンが登場する。打ちひしがれ、トイレでじめじめ富士山が見えるんだよハートシェイプトボックスとか言っている太宰のもとを一人の少年が訪れ、顔を見るなり「なんだ普通のひとじゃないか」とのたまうのだ。太宰はうれしかったらしく、にやにやを苦笑でつつみながらこのことを日記に書いている。だが普通のひとじゃないじゃないかという事は先のトイレで泣きのシーンで了解済みであろう。では何故少年は太宰から普通の人という印象を受け取ったのであろうか。

それは少年が普通のひとだったからに過ぎない。この少年は太宰を「なんだかやばいひと」と新聞だか何だかで思っていたらしく、それが封筒のあて先にあったというので「じゃ顔みにいってみようぜ」と、いわばmsnで動画を見るような気分でやってきたのだ。とくに心中の経験があったわけではない。少年のサッカーをするような健康的なフィールドでは、太宰の前髪をぶらさげるような湿った風が吹いていなかっただけだ。サッカーなんか大嫌いで胎児が母親のおなかを蹴破る漫画を描いたカートコバーンだったら「僕は女のいないところに行くんだ」という言葉まで読み取って「なぜだ!?なぜだ!?」という議論まで巻き起こしていたかもしれない。


「世界が女性に支配される日が来ますように」と日記に書いて「男で話の分かる奴に出会ったためしはない」「彼女は男性に生まれるべきだった」と告白しながら、頭カラカラの少年達の楽天的なヘドバンにがっかりしてたカート。「なんだ、イケメンじゃないか」ではないぞ。少年よ、彼の髪の毛はウーノワックスじゃなく皮脂で固まってるんだ。洗うのがダメだっていう性格を告白してるんだよ毛束感が。その洗ってない髪の毛を見ても「人は見た目が10割じゃない」というひと、あなたに髪の毛を洗わない経験が理解できないだけじゃないの。手元に相手の10割が写せるだけの絵の具がないだけじゃないの。前述のサッカーみたいな少年、「なんだ普通のひとじゃないか」とか言ってたけど、恐らく日記にもそう書いたんだろうけど、あんたの夏休みの日記なんか絵のとこだけでじゅうぶんでしょどうせ。真っ青の地平線にソフトクリームの白でしょ。それじゃ太宰がでてくる日がなくたってしょうがない、クーピーの白を使いこなしてないようじゃ。

少年よ、太宰と対面してかれを理解しようなんて大志を抱くのなら、あと吉原に5ページほど通いなさい。それで10ページまで行ったら絵をまっくろに塗りつぶして、日記のタイトルを「孤独地獄」に書き換えなさい。先生にそのことを尋ねられたら、「天国の絵を描いたけど挫折した」と言い張りなさい。妙な顔をされたら「地獄ってどういうところなんでしょうね」と呟きなさい。休みに退屈しきっていただろう先生の心臓のビートを2秒ほど早めなさい。その日記は岩において波にとらせなさい、その日記は友達に借りたものだと言い張りなさい、岩と心中する女中のように。グレープフルーツは燃やして灰になったと言い張りなさい、ぜんぶ覚えられなかったことは偉大なことだと思い込みなさい、逃がした魚は「イマジン」で取り戻しなさい。「アマゾン」におすすめされてはならない。

オノヨーコはあのルックスが好きだったりするのだが、ロックスターというのは押しなべてルックス12割だと思う。イエモンの吉井さんも「ドキュメンタリーのような肉体」をだいぶ言葉は違った気もするが推奨していた。シワシワのドキュメントでありたい、とか。間違ってもランドセルのそこでシワシワになった
ドキュメントがスターだとは思わないが、ブルーハーツだったら青春のロックに仕上げるのかもしれない。ヒロトは老けてもヒロトがはみでているから凄い。吉井は老けたら吉井が垂れ下がるようで良い。ベンジーなんかベンジーに合わせて肉体が収縮してるんじゃないかと思われる。リーゼントと仔猫のようなスパゲッティヘアが共存できる輪郭なんてベンジー41歳しか持ってないだろう。ロックスターという人種は音源がそこになくともジャケ買いされる肉体を備えているのだ。

締めくくりとして、「実はあんまり音源を聞いてないけどルックスでドンはまり」という、イエモンと同じとっかかりを得ているレディヘの面子に対して忌憚なき見た目批評をしてみようかと思う。かつてイエモンなんか「いませんでしたー」というU2系のバンドだと思っていた当事、映像で「ジャコバン派」という印象を持った。この印象はそのまま結論になった。BURNのPVをみて「山岳派」という印象はくわわったが、彼らの弱者が武装している感じとか主張の激しさとかは既にあのルックスに登場していたと思う。では実はあんまり音源を聞いてないけどどうやら大好きのレディオヘッドはどうか。

まずトムヨーク。
ティッシュ1枚ほどの自我が顔にひっついて苦しんでる人。有意義につかわれていないハンガー。皮をはがれたウサギ。親が使う粉。開かない屏風。リコーダーの袋。中途半端なサイズのヨーグルト。お湯につけてはいけなかった物とそのしわしわの説明書。

つづいてコリングリーンウッド。ベース。
メンバーの結論が「うまくない」で終わったお土産。しかしメンバーで最も明るく素直な子が絶賛し、「ほんとにいいの?」とか目をキラキラさせてティッシュでくるんでもって帰るお土産。色は茶色で結構堅い。プラスチックのしきりがけっこうこまかくて18個いり。

エド。ギターとバックボーカル。
苦悩している時に削られたえんぴつ。削りすぎて空気まで切り裂いている。予定していた絵画の全体をけずられた先端に見てしまい、失意の画家が文字通り不用になったエンピツを折って首をくくってしまう展開。つまりそれが失恋自殺という奴だと結論づける昭和の短編。

フィル。ドラム。
物凄い反響のハガキを呼ぶ入院患者。見開きで名言を言う。医者の毒抜きをする。いっぱいぶらさがる角ハンガーがやたら似合う。折り紙が完成する前にひとを感動させる能力の持ち主だが、当人はその能力をツルを作るのが得意としか認識していない。

ジョニーグリーンウッド。ギター。
たまごを同じ大きさにスライスする機械。ピクニックのときにしか使わない原色の食器類。弟のコンセプトが理解できないデザインスニーカー。父親が調子づいて買ったはいいがコンセプトを説明できない絵本の表紙。食べられるんだよと説明された瞬間の魚の目玉。その箸の柄。

アルバムを全部聴いたあとではまた違った結論にたどりつくのかもしれないが、出発点はこんなところである。ただ3歩ぐらいしか動かない気もする。人は見た目が10割だと思う。ただ読み取る側に10割のノートがたまっているかの問題だと思う。ミーハーの少年のノートでは太宰がふつうのおっさんとしか描けなかったのだ。今日の毒されきった青少年ならば資料集の写真1枚で失格の何たるかを1ページは読み取るはずだろうに。理解とは自分の絵日記を読み上げる行為に過ぎない。


さきのレディオヘッド観測、けっきょくは自分の宇宙の天体観測だった。トムヨークという星座がここでは「中途半端なヨーグルト」という星座になっているのだ。地球のほかの地点にいる人にとっては別の名前で、場所によってはまったく見えてないひともいるんだろう。しかし目撃者の証言がどうなろうと、対象の輪郭がその都度変わるわけじゃない。接触できない宇宙に浮かんでいる「対象」。実存てこういうことを言いたいんだろうか。

望遠鏡をのぞけば10割がさらされてても、見る側が5割しかなかったら相手の姿も半減してしまう。墓穴以上の期待がはっきりしないクレーターを見た人間に「海」と名づけさせた。はっきりしないからって波立っていたのは明らかに覗いてる側の心の表面である。ハイテク機器を使って見ても論文のラスト1文は「そこに自分が10割」。