ウェスタンワシントン大学。シアトルからはトラックで2時間程の道程である。ニルヴァーナが悪路を揺られながらやってきたのには理由がある。盟友・マッドハニーのライブに前座で出演することになっていたのだ。


3人がステージにふらりと現れた瞬間、会場はまさにパニックになった。ニルヴァーナが登場するとは知らされていなかったのだ。さっそうと現れたニルヴァーナは、いきなりインディーズの曲の集中砲火を浴びせた。かつてレコード会社各社から興味がないと言われたデモテープ、いまや世界待望のセカンドアルバム「インセスティサイド」。その二つから思うままに曲が飛び出す。誰一人分かるはずもないこのラインナップに対し、会場では盛大なモッシュが起きていた。ステージ上では、あとで4,5足のくつ、誰かが脱ぎ捨てたTシャツ、野球帽、何故かハトの屍骸までもが見つかった。


そうした熱狂を避けるように、ステージの端に立っている一人の影。黒いベルベットのドレス、派手にブリーチした髪の毛。視線はステージ中央にいる夫のすがたに注がれている。


「これ、ほとんど昔の曲ばっかりだわ。」

コートニーは笑って言う。

「ホラ、歌詞が抜けちゃってる。あの人、さっきからずーっと『#%$#$』って言ってるわ(笑)」


観客の誰も、そのことには気づいていないようだった。そしてライブの最後、マッドハニーのマットルーキンがステージに二人の子どもを連れてきた。まだ小学校低学年といったぐらいの幼い子たちである。そのうちの一人に、クリスが自分のベースを脱いで渡した。その子はうれしいやら怖いやらと言った表情を浮かべていたが、きちんとメタルキッズらしく、ベースをバシンと床に叩きつけた。フィニッシュではちゃんとメタルっぽくその手を上げている。そしてもう一人の子には、カートとマッドがギターをその肩にかける。観客はこの小さなロックスターに『ぶっ壊せ!!ぶって壊せ!!』と声援をおくる。ちょっとためらいを見せたのち、その子は無事ギターをぶっ壊した。おそらく、生涯その瞬間は忘れられないにちがいない…というか、あの年ではそれがどれだけ凄いことかなんて分かっちゃいないのだろう。少年、君は小学校低学年で、世界のニルヴァーナと一緒に何千もの観客を前にプレイしちまったんだ。もう少し大きくなったら、いまのことを思い出してほしい。周りのお兄さんたちは君を、死ぬほどうらやましがっていたんだよ…。


バックステージでは、3人が何やら談笑していた。ステージにあがったロックキッズのプレイを思い出していたらしい。そしてデイブがランチのトレーをロッカーに突っ込んだりしてる間、クリスはファンの子二人を相手にお喋りをしていた。曰く、「俺がいつもサインをしたくないのは…」やれやれ。これが全米NO1のロックスターのバックステージだろうか?しかしこれも、ニルヴァーナというバンドの美しさなんだろう。レコード会社からプッシュもされず、まったくのクチコミでチャート1位を獲ってしまったバンドらしいと言えばらしいのだが。


「いままでこんな事ってのはなかったですね。」


そう語るのは、ゲフィンレコードのオルタナ担当(いるんだ…)のマーク・ケイト氏。彼らのデビューアルバムは、マイケルジャクソンの「デンジャラス」を抜いて全米1位になってしまった。

「もうびっくりしました。スタッフの誰も、何が起きたのかさえ把握できないといった感じでしたから。いやむしろ、予想してたなんて奴がいたら、スタッフ失格でしょうね(笑)」


「いままでとは世界が変わったのよ。」

興奮してそう語るのは、L7のジェニファーフィンチ。

「セブンイレブンに入ってもクールな音楽がかかってるし。あんまりクソみたいな曲が流れるんで、ラジオにケリいれたりすることもなくなった。ニルヴァーナが成功してくれたからよ。それ以来、私たちみたいなバンドも、寝る間もないくらいライブが出来るようになったし。だから私たち、ニルヴァーナのファンでもあるの。」


「仕事から帰って寝て、起きたらいきなりあいつらが1位になってたんだ。」


売れない時代を見てきた、ロサンゼルスのクラブでDJをしているロドニービンゲンハマー氏はそう話す。


「最近じゃ、メタルだっていう奴らはみんな、ヒゲを生やして髪の毛を洗わず、ネルシャツを着てる。それって全部あいつらの真似だろ。」


しかし、こうしたアンダーグランドのアーティストの進出は、同時にアンダーグラウンドのファン層からの反感をまねく。すでにコアなファンからは最近のグランジブームに対し「魂を売った」と批判も出ている。他方、レコード会社各社はポストニルヴァーナを探すのに必死だ。こうした風潮を巻き起こした張本人である、ニルヴァーナにかかるプレッシャーは大きい。

「あまりにも早くいろんなことが起きた。それでこの先どうなるかなんて、誰にも分からないだろうよ。」

本人は当惑気味である。

「いまじゃ『シアトル』ときたら『ニルヴァーナ』ってのが決まり文句だ。みんな、俺たちに毒されてるんだよ。」

そしてシアトルに住んでいる彼はため息をついて言う。


「…シアトルほど俺たちの評判がわるい町はねえっつーの。」

そのシアトルでは、クリスがいまだにオンボロのバンを乗り回し、メンバーは家ともつかないような廃屋で練習をしている。その地下室では、最近までいた浮浪者のそだてていたマリファナがあるとかで、またメンバーもそうした環境にいるのが心地いいらしい。デイブは浮浪者と間違えられそうな帽子をかぶり、先日のヨーロッパツアーでの思い出を語る。「俺マドンナにイタ電したよ。」バンドはまさに得意の頂点にあるといったところなんだろうか。


グリーンデイもキースリチャーズにイタ電したことがありますが撃退されていました

※ 「セレブにイタ電」はパンクキッズの証。

※ 「英国王室にマジ電」のマイケルはパンク過ぎます


「MTVで120回ビデオが流れるなんてどうでもいい。」

不機嫌そうなフロントマンは、怒りとは別の何かを伝えたがっているようだった。

「まあ、セールスのためには大事なことなんだろうけど。『1週間にこれこれしか流しません』ていう契約書があったらとっくにサインしてるよ。」


そしてインタビュアーとして伝えなければならない彼らの伝言が幾つかある。

「あとインタビューってのはねじまげられて書かれるもんだから、一切信用しないように。」

「誰が何書かれてても、俺はもう信じないよ。もし記事を読んだら、必ず自分の頭で組み立て直してほしい。」


「何も言ってなくても逃れられないってのが不思議だよ。」

俺には理解できない、とカートは不機嫌そうに言う。


「マスコミがこれだけクソだってのが分かってたら、何もこんな他人の関心にさらされるような場所には来なかったさ。でも、マスコミがどれだけ人に悪影響をおよぼすかなんて、その時は想像もできなかったんだ。」


「それに昔ほど、生活がバンド一色っていうわけでもないんだ。かつてバンドは、俺にとって人生ので唯一の宝物と呼べるものだった。それがただのうるさいガキの集まりでもさ。でも、今はもう結婚して子どももいる。バンドを愛する気持ちはあっても、それだけの為に生きてるってわけじゃない。」


しかしメンバーがどう言っていようと、何百万というファンは依然として君らを愛し、ニルヴァーナへ連れてってくれると信じているのだ。スターを追いかけるマスコミがうっとおしいのは分かった。しかしそうした状況をわきまえた上で、なお自分たちの立場を楽しめる余裕ってものは君達にはあるのか?

「当たり前だろ。」

そこで3人の声がぴしゃりとそろった。その結論を聞くまでには1秒もかからなかった。