母の実家は姫路市から約四十キロ程北にある屋形というところで、姫路と生野街道を結ぶ生野街道沿いの宿場町の一画にあった。  

 

「K家は播磨守護赤松氏の一族で、江戸時代からは代々旅籠でさかえたのだ」と祖父は酒に染まった赤ら顔で孫たちに自慢した。

 

屋敷の奥には三百年は経つ三つの漆喰作りの土蔵が並び、その中には御膳や漆器が棚の上に置かれ、母や叔母の記憶によると、

 

戦前には戦国時代に使用した槍や刀や鎧まで残っていたらしい。

 

祖父はハイカラな人で、さっさと家業を息子に譲ると、祖母と二人で当時まだ珍しかったヨーロッパやアメリカに旅行し、長旅に

 

疲れるようになると、自らが運転して娘や孫たちを乗鞍岳や上高地へ連れていった。