TODAY'S
 
アスファルトの道と砂浜の道

 

こんばんは。

 

突然ですが

今日のテーマの

 

「アスファルトの道」と

「砂浜の道」。

 

なんの話かというと

 

作家の遠藤周作さんの

没後発見された未発表の原稿の中のお話で

 

生きていく道を考えた時に

 

安全で歩きやすいけれど

振り返った時に何も残らない

「アスファルトの道」

を行くのか。

 

足が砂に埋もれ

歩きづらいけれど、

振り返れば自分の足跡が

ひとつひとつ残っているような

「砂浜の道」を行くのか。

 

そんなお話で、


遠藤周作さんが

ある時

母親から投げかけられた話だそうです。

 

作中では

安全が好きな保守的な父親と

音楽に生きる自由で情熱的な母親の

比較のような文脈で出てきますが、

 

私が注目したいのは

どちらが

良いとか悪いとか

そういう話ではなくて…

 

この世に生まれてきたひとりひとりには

心のというか…

魂の底の底の方から望んでいる

「その人のかたちの生き方」

というものが

必ずあると、思っていて。

 

「そんなものはない」と思っても、

 

長年の社会生活を送っている中で

いつの間にか意図しないうちに

たいせつなそれを

明け渡してしまったり

すっかり無かったことにしまっていたりするだけで

 

いくら

明け渡してしまっていても

無かったことにしてしまっていても

 

自分では

とうにアクセスの仕方など忘れてしまった

魂の深い深〜い場所で

 

しっかり

冷凍保存されて雪の結晶

解凍してもらえる日を待っているグラサンハート

 

そんな風に感じています。

 

  どこいった、どこいった

 

もちろん、

手に取るも取らないも自由。

応えるも応えないも自由。


気づきさえすれば、

それは全て、ちゃんと自分で、選べる。

 

私も、以前は

混み合った

アスファルトの道を

一生懸命

脇目も降らずに

でも、人とぶつからないよう

神経を尖らせて

歩いて?走って??いたけれど

 

自分の中の

正しさでジャッジする物差しに気がついて

頭の中の声から自由になったら

 

海岸線を歩くのが

大好きな自分がいたことを思い出しました足

 

ただただ

私が好きだから、

ワクワクするから、

砂浜を歩く方を選びたい。

 

だから、

進みが遅くても

不格好でも

未熟でも

つまずいても

それでいいのだ花

むしろそれがいいのだ花

自分のかたちの跡がちゃんとつくから。

 

自分の望み、願い、悩み、つまづき、情熱、渇望

いろ〜んなものを

貝殻のように

シーグラスのように

水辺の生き物のように

拾いながら

発見しながら

 

楽しみながら海岸線を歩いていたい足気づき

 

  海って、いいよね

 

そして実のところ

砂浜は、歩きづらくなんか

ないかもしれない。

もし靴に砂が入って

気になるんだったら、困るんだったら、

さくっと思い込みの靴脱いで

裸足でいったらいいよね。

 

さらに言えば

アスファルトと砂浜の2択なわけでもない。


緑の中の土の道でも

真っ白な雪の道でも。


どこまでも

自分が求める豊かな道を

望むようにいこ〜

 

(おまけ)

砂に埋まる砂浴も大好き。

 

先日も旅行で思う存分に砂に埋もれてきました。

整います!最高!おすすめですイエローハート