「人間は論理的じゃないとだめだと思います」
後輩と話をしている際に彼が言った言葉だ。
話の内容はくだらない世間話なのだが、ある恋愛リアリティ番組についての感想を言い合っていたときのこと。
その番組のとあるシーンで、ある女性の出演者が感情的に男性の出演者に対して不満を一方的に投げつけ、対する男性出演者が冷静に理詰めして論破していた。
論破された女性はなすすべをなくし、番組の出演を途中辞退した。
このことについて、私と同じく番組の視聴者であった後輩が感想を求めてきたのだ。
「あのシーンですが、圧倒的に(女性出演者の名前。以降Aとする)が悪いですよね。論理的に話ができない人は基本頭悪いんですよ。
女はすぐ感情的になるしめんどくさいですよね。」
ここまで読んで心証を悪くされた皆様がほとんどであろう。
かくなる私も後輩である彼のこの発言に対してはいささか引っかかるものがある。
「じゃあどういう風に話すのが正解だったのかな」
私は極めて冷静に彼に問いかけた。
「まずなにか意見を言うときはまず結論を言わないといけないですよ。そのうえでその結論に至った経緯と根拠を示さないと。感情はただの価値観であり感想なので話すだけ無駄で根本的解決にはなりません。」
たしかに、ある意味で間違いではない。
論理的に考えることが大切になる場合は数多くある。
例えばビジネスの世界においては必須だろう。
ただしあくまでも会社のためやプロジェクトを成功させるためという目的での話し合いに限ったことだと思う。
複数が同じ目的を達成するための方法や解決策を模索する上での話し合いだ。
あるいは自分自身が社会的に成長するための自問自答には論理的思考を用いたほうが良いといわれる。
「なぜ自分はこうなのか。ではどうすれば良いのか」
と論理的に自分自身に尋ねる。
しかし人間関係に関して言うと論理的思考というのは人間の格をマイナスに引き下げる。
例えば、
「ねえ、今日着ていく服はどっちがいいかな」
と聞かれたことに対し、
「どちらでもいいんじゃないか。なぜならその服を着るのは君なのだし、君がどんな服を着ていようが私には関係ないから」
などと答える人間は付き合うに値しない。
では論理的に肯定すればいいのではと思う方もいるだろう。
「こちらが良いと思う。なぜなら君はイエベのオータムだからこの色味が似合う。さらに君の骨格にはその服の形状が相性がいい」
実は心理学的にはこちらも適切とは言えない。
つまり「論理的じゃないとだめ」とは必ずしも言い切れないのである。
要は時と場合。
もう一つ気になったのは「女は感情的」という部分。
これに関しては生理的な問題が関与している。
女性は女性ホルモンの影響で自律神経が乱れ、心の安定に影響が出る。さらに精神を安定させる役割を持つセロトニン、いわゆる幸せホルモンの分泌が男性よりも少ない。脳の構造的にも感情が言動に表れやすいという傾向がある。
つまりはそういう生き物ということで、本人も周りも受け入れるしかないことなのだ。
「男性は理屈で動き、女性は感情で動く」
これもよく言われる言葉だ。
しかし、感情だけでものを言う人間もまた付き合うに値しないといえる。
先ほどの事例で言うと
「着ていく服はどちらがいいか」
と聞かれ
「こっちがいいんじゃない?わかんないけど」
たいていはこうなりがちだが言わずもがな「まじめに考えてる?」となるので不正解。
あるいは
「今はそんな気分じゃないから自分で決めて」
機嫌が悪いとこういう風に突き放すことになる。
では何がいいのか。
答えは
「社会的思考力」
だという。
論理的に考え、相手の気持ちも汲み取ったうえで最適な答えを返す。
実はこれ意外に難しい。
先ほどから出している例
「着ていく服はどちらがいいか」
に関して返す正解は
「君はどっちが好きなの?」
と聞き返すことだという。
こちらから「こっちがいいと思うよ」という風に聞かれたことに対してそのまま答えることは実はすれ違いのきっかけになる。
たいていの場合、二択で迷っている人が答えを求める場合、実は深層心理では答えが決まったうえで二択を投げかけているケースが多い。
つまり「こっちがいいと思う」と答えたほうと、相手が深層心理で「こちらがいい」と感じているものに相違があった場合に心理的な抵抗感を抱く。
ここから正しい答え方として「君はどちらが良いのか。なぜこの二択なのか」という部分に踏み込むことが大切だとされる。
つまり論理的思考が不要ということでも、感情的思考が不要ということでもない。
両方の考え方を上手に生かしていくことが本当に賢い人間と言える。
私は論理的に考えはするが、感情で答えを出すことが多い。
相手の感情を気にしすぎて言わなければならないことを言えぬままにしている。
だから私は彼の論理的な考え方、その思考を素直にリスペクトしている。
いつか論理的かつ感情的、「社会的思考力」を身に着けていきたいと思うこの頃であった。