フォローといいね、いつもありがとうございます。

 

本当に感謝です。

 

サーフィンをしている人がよく、

 

「地球と一体化する」

 

みたいなことを言っています。

 

サーフィンはしないですが、スキーをやっているときに、

 

雪山と一体化するイメージで滑っています。

 

ニューヨークのダンサーも、

 

大地と一体化とか宇宙と一体化するイメージがどうのこうの言っていました。

 

実は最近、

 

片付けをして荷物を運んでいるときも、このイメージに自然となったことがあります。

 

きっと仕事中でも、意識していたらそうなるんじゃないでしょうか。

 

宇宙の波動と同調しているイメージ。

 

お金の流れも同じだと思います。

 

 

 

 

 

 

当たり前のことを言っても、普通のことを言っても否定されてきた。

 

どうやら反射的に否定するのが癖らしい。

 

もちろん無意識でやっている。

 

自覚もさらさらない。

 

もしかして自分の言ってることが普通ではないのでは?

 

当たり前じゃないのでは?と思うけど、

 

私の意見は業者さんとも専門家とも同じ。

 

そういうことしか言ってない。

 

むしろ一般的な定義すら否定してくる。

 

口癖は、

 

「いや、そうじゃない」

 

自分が正しいと思っている人には、

 

何を言ってもムダである。

 

紐解いてみれば、

 

あの人は自分の意見を肯定されることなんてなかったのだろう。

 

それどころか話を聞いてくれる人もほとんどいなかった。

 

だから、否定するのが当たり前。

 

無自覚に相手の意見を否定できる。

 

素直に相手の意見を尊重することなどない。

 

だから、否定から入る。

 

可哀想な人。

 

なぜなら、【自分の意見を言うことしかできないんだから】。

 

反面教師。

 

 

 

私の魂は今日も磨かれている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴミ屋敷を片付ける系に出てくる依頼人の住人は、

 

なぜかいい人が多い気がする。

 

クレーマーとかはいない。

 

そういう人を選んでいるのかどうだろうか。

 

TVのワイドショーに出てくるような、

 

現役のゴミ屋敷の住人はヤベめの人が多い(当たり前だ笑

 

多いというか、ほぼそう。

 

ゴミ屋敷の片付け依頼の住人は、

 

片付けようとしてる時点でもう、疲れ切っている。

 

怒ったり落ち込む気力もないのだろう。

 

きっとそんなときに、魂が磨かれる。

 

 

 

 

 

 

 

こうやって思考が堂々巡りをしていってるけど、

 

着実に家や倉庫はキレイになっていってる。

 

一歩一歩、

 

千里の道も一歩から。

 

感謝しながら捨てている(たまに忘れる。

 

祖母が使っていたの箒はまとめて捨てさせてもらった。

 

おばあちゃんありがとう。

 

私がちゃんと掃除するから許してと。

 

曽祖父か高祖父の物は、もしかしたら価値のある物かもしれない。

 

でも最低限だけ残して捨てさせて欲しい。

 

捨てるけど許して欲しい。

 

埃がたくさんかぶって、保存状態も良くない(これに関してはきっと私のせいではない。

 

出来るなら、焼物や器など似たような物を買い直したいと思っている。

 

少数精鋭でちゃんとした器を、ちゃんと大事に使う。

 

沢山モノがありすぎて、区別がなかなかつかないけど、

 

100年分片付けているんだから、どうか御先祖様には許してもらいたい。

 

 

 

 

 

久々の悪夢。

 

起きるのが遅かった。

 

 

 

先日も書いたけど、あの世代はモノへの執着が本当に異様。

 

変えようとしてもムダ。

 

何を言っても通じない。

 

延々と正当性を主張する。

 

根本的に人の話を聞かないので、色々とムダ。

 

こうやって考えることもムダ。

 

 

 

そして、こうやって片付けさせようとしている自分の心も、執着。

 

完全にムダな思考。

 

 

 

 

 

 

 

最近またメンタルの浮き沈みが激しくなってきてしまっている。

 

どうして片付けないんだろう。

 

どうして物を溜め込むんだろう。

 

結局何十冊片付けの本を読んでも、無意味なんじゃないかと思ってしまう(そんなことはない。被害妄想笑

 

 

 

あの世代の物への執着は異様すぎる。

 

自分の考えがおかしいのかと思うくらい捨てない。

 

使わない物を溜め込む。

 

使わない物を贈り合う。

 

ストックを溜め込む。

 

いつか使うと思って溜め込んだストックは、誇りを被ってボロボロに。

 

使ってない物の山を見ると本当に悲しくなります。

 

どうしたもんだろうか。

 

結局、私の意見は昔から聞かない、

 

と無意識に刷り込まれてしまっているのが良くない。

 

これは本当に良くない。

 

 

 

悲しい。

 

 

 

ちゃんと備え付けの収納がたっぷりあるんだから、棚とか収納ボックスも捨てたらいいのに。

 

 

 

なんだかんだで自分のお金や富に対する器は大きいような気がする。

 

全く根拠のない自信ですが、

 

サイコロジー・オブ・マネーを読んでいて思う。

 

 

 

 

 

ここに書いてあることは、ほとんど結構前からやっていたぞ?と。

 

ギャンブルをしないのもガチャを回さないのも、正しかったのでは?と。

 

衝動買いもしないし。

 

ただ周囲に考え方が伝わらないだけだけど、

 

それは当然のことなんじゃないかと。

 

お金に対しての感覚が違うから。

 

 

 

あとは自分にもっと自信を持って行動する。

 

片付けの本に書いてあることも、

 

わりとほとんど昔からやっていた。

 

部屋が散らかった状態が続くことなんてなかったし。

 

あとはもう、流れに乗るかどうかなんじゃないか。

 

資質や素質みたいなものは絶対備わっている。

 

 

 

そういえば愚痴ばっかりの飲み会が苦手でした。

 

どうやら別に行かなくても良かったみたいです。

 

もちろん、そんなことじゃやっていけないと言ってくる人はいると思います。

 

が、

 

やっていけてる。

 

無理して、マイナスの言葉や感情に溢れている場所に合わせる必要はない。

 

というのを、ようやく最近知りました。

 

そりゃ合わねーわって。

 

 

 

 

 

 

 

 

どうやら気のせいではないらしい。

 

普段から定期的に捨てている。

 

倉庫のものは何十年も眠っていたようなものばかりなので、

 

どうやらその気みたいなものに影響されてしまっているらしい。

 

というのが片付けの本に書いてある。

 

それらが運を停滞させるんだとかなんちゃら。

 

片付けていて痛感する。

 

時間が止まっている。

 

そりゃそうだよなと。

 

こんだけ放置されているんだから。

 

使わないんで捨てるんだから、物を作った人にも失礼。

 

それをあの人たちは気付いていない。

 

ただ置いてあるだけ。

 

ごっそり処分するのも、御先祖様は許してくれるだろう。

 

むしろなんでまだ持っているのかと思っているはず。

 

なんたって私が片付けているのは、ひい爺さんさん、ひいひい爺さんのものなんだから。

 

何かしら影響を受けて当然。