![]() | 本当の勇気は「弱さ」を認めること 1,944円 Amazon |
障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律 - Wikipedia
まず、会社で人事やってるとか、部下に障害者枠で雇用された社員がいるとか、障害者支援の関係者だとか、そーゆーんじゃない限り、「むずかしいことはわかんなーい」って言って放り出したくなる話かもしれませんが
30歳で精神障害者になって、おまけに求職中となれば、超大事な話なのよ、これ。
こういう法律あるの知ってるのと知らないのとでは、また活用しようとするのとしないのとでは、もう、大違いなんですよ。
安心して長く仕事を続けるために、
・職場から受けるいわれのないハラスメントに抗議出来る
だけじゃなくて、
・働きやすい環境を整えることを職場側に(努力とはいえ)義務として要求出来る
・役所に対しては何かあった時に「法的義務に違反している‼️」と強く出ることも出来る
のは、デカい。
泣き寝入りしなくていいのよ、だから。
だからこそ、大事なんです。
もう、
「鹿音のんの就活」=「鹿音のんに十分な合理的配慮をしてくれる職場探し」
って言っても過言じゃないです。
で、そうなると
じゃあ、具体的にどういう配慮が私には必要なわけ?
っていう話になるじゃない
それをハッキリさせる(=自分を知る)のが、今の通院生活の最大の目標です。
バイトもせんとハロワにも行かんと、病院通ってだらだらニートしてる訳じゃないんです、側から見るとそうかもしれませんけれど。
実は今そーゆーチャレンジをしてるということです。
で、「合理的配慮」って何? ってところに話は戻るんですが、
皆さんがさも当たり前のように普段からやってることよ、割と?
例えば、バスでも電車でも何でもいいんですが、公共交通機関使ってて、
今座席に座ってるとするじゃないですか。
満員ですと。
目の前におばあちゃんいますと。
買い物帰りですと。
両手に重たそうなスーパーの袋ぶら下げてますと。
席譲りますよね?
それでいい、っていう話です。
その感覚をあらゆる障害者のケースにも当てはめて自分に出来ること考えてみたら、職場でもオフでも、自ずと配慮を行き届かせるべきところが見つかるんじゃないかなーって思います。
じゃあ、何で「買い物帰りのおばあちゃん」だと合理的なんでしょう?
あのね、ごめん。ごめんてばホント。
「哲学」したくてこんな意地悪な質問してるんじゃないの。ねぇ、そうじゃなくて
「おばあちゃんがvalnerableで、サポートが必要だったり(場合によっては)守ってあげる必要があったりするから」合理的なんでしょ、ってことです。
「おばあちゃんが弱者だから」はのん先生、ペケ❌つけますからね‼️💢💢💢![]()
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そう、だから、valnerabilityの話をしている訳です。
で、日本語でいい表現ないかなって探しててー……っていう話を英語の方ではしてます。若干日本語も混じってて読みやすかったと思います。
「至らなさ」
まぁ、「言葉選び職人」の鹿音のんに言わせれば75点かなー![]()
「不器用さ」
「苦手さ」
「困難さ」
とちょっと迷ったね。
「生きにくさ」
だと逆に色々カバーし過ぎてるって感じ。
「傷つきやすさ」
「やられやすさ」
は、一面そうだけど言いたいこととはずれるし。
あ、「脆」の字と「弱」の字はあえて除外してます。
なので、「脆弱性」も「脆さ」も「弱さ」も訳語としてはポピュラーですが残念ながら不採用です。
イメージとしては、
周りに対しては基本謙遜してて、
皆には「こんな自分で申し訳ないなー
迷惑かけてるなー![]()
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」
とか思いつつ、
かと言って「だからダメなんだお前は💢」「お前はそもそもやる気がない💢」って全否定されると
逆に
「いやこっちだって頑張って努力して生きてんだよ畜生‼️💢💢💢![]()
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」(心の中で思ってるんだよ)(口に出しちゃダメよ)
って言い返したくなるような、自分の中にあるそういうところね。
なかなか皆の期待に応えるまでには「至らない」、けど全く努力してない訳でもない(やれる限りのことはやってる)、みたいな微妙な感じ?
何かしらあるでしょ? そういうの。
他の人には何でもなくても、自分にはどうしても一人で抱えるのがムリなこと。
どう考えても自分には向いてないし、こなせそうにもないこと。
「絶対合ねぇなこいつとは」って思っちゃう人。
でも、どの道自分が(自分も)向き合わなくちゃいけないこと。
そんなんさ、自分がザコだからとか、コミュ障だからとか、経験が少ないからとか、鍛えてないからこうなるんだ、ダメなんだとか、そういう話じゃないじゃん。
サポートをお願いすること、「無理だから助けて‼️」って声を上げることは、勇気は要るけど恥ずかしいことでは全くない、そうでしょう?
生活してると「買い物帰りのおばあちゃん」くらい分かりやすくなくても、
サポートが必要な人、
「無理だから助けて‼️」って声を上げている人、
そういう風に周りから認識されてなくても実はヤバい状態でガチでサポートしないとつぶれそうな人、
私の隣にもあなたの隣にもいるはずなんです。
そういう人たちと仲良くしていくために、
「弱いから強くなろう」
っていう発想じゃなくて
「至らないところはお互いにカバーし合おう」
っていう発想に切り替えていきませんか
っていう提案がしたかったの。
それが「合理的配慮」だし「valnerabilityに目を向ける」ことだと私は解釈しています。
で、これも繰り返し繰り返し言うことになるだろうけど、
相手の至らないところをカバーしようとする前に、まず自分の「至らなさ」を愛せるようにならないとね💖💖💖✨✨✨
日本人は皆基本謙虚だし、岩手県民特に謙虚だから、少なくとも
自分の至らなさ置いといて誰彼構わず「自分がいかにスゴイか」を自慢してマウント取って回るような人間じゃない
っていう信頼はあるわね。
本当に、「至らなさ」を愛せる素敵なイーハトーブの民になって皆さん✨✨✨
ただ、一部のジジババ、一部のオジさんオバさん方の中には、
「なにくそ!」根性だ、ガッツだ、甘えるなだ、ナメられたら負けだ、どーたらこーたらと
古くせぇ説教垂れてはマウント取って相手をコントロールしないと気が済まない人達がいます。
残念ながら、うちの父と母がそうだった。
両親にはさぞ私は「軟弱者」に見えたでしょうけど、まぁ、この話の続きはまた別の機会に![]()
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