「同志少女よ、敵を撃て」
逢坂冬馬
ブロ友さんの紹介で知り、息子に頼まれ購入。
第二次世界大戦の独ソ戦の話と来れば、オタ男が食いつかないはずがなく。私より先に読み終えてました。今回も、ネタバレしようとしてくるのをなんとか制止しました😅
📝ロシアの農村に暮らす16歳のセラフィマは、ごく普通の女学生だった。彼女は母から猟銃の扱いを習い、時に畑を荒す害獣を退治していた。
1942年のある日、セラフィマが母と猟に出ていたところ、村がドイツ軍に襲われる。村人は皆殺しにされ、その上、姉妹のように育った少女は無惨に陵辱されていた。母は咄嗟に銃を構えるが、逆に撃たれてしまう。
セラフィマはドイツ兵に捕まえられるが、間一髪のところで現れた女赤軍兵、イリーナに助けられる。だが彼女は、目の前で母の遺体に火をつけて家ごと燃やし、冷酷にセラフィマに問いた。
「戦いたいか、死にたいか?」
セラフィマは、村を襲ったドイツ軍と母を撃った狙撃兵、またイリーナへの復讐を胸に誓い、赤軍兵となることを決意する。
狙撃兵養成所で訓練していたのは、セラフィマ同様、戦争で家族を失った女性達。イリーナはそこの教官であり、なぜか彼女達の尊敬を集めていた。
厳しい訓練の中で仲間との友情も生まれるが、イリーナの本心は掴めぬまま、養成所を卒業。
そしてイリーナ率いる女性狙撃小隊は出陣する。
だが彼女達が実際の戦場で見たのは、人間が理性や尊厳を失い、人間ではなくなってゆく姿だった。
📝第二次世界大戦当時、「戦争は男のもの」と考えられていたため、女性が前線で戦ったのはソ連軍だけだったそうです。これは共産主義のもとの男女平等、という考え方から来たものです。(日本だと「銃後の守り」という言葉がありますね。)
この本では「戦争における女性の立場」が、度々考察されています。
セラフィマは、ソ連の女性をドイツ軍から守りたいという思いがあって兵士になるのですが、そのような女性ばかりではありません。
糊口をしのぐため、ドイツ士官と関係を持つソ連女性。ドイツ兵の「慰安」のためにと、騙されて派遣されたドイツ人女性。さらに、ドイツ軍が投降した時には、そのドイツ人女性らを、ソ連兵が略奪しようとします。(もちろん表向きにはこれは軍規違反とされています。)
結局女性は国家の所有物、男性の所有物でしかない。そのような現実を知るたび、セラフィマは戦う意義が見えなくなっていきます。
けれど、戦場にあって生き延びるためには、意義など考える余裕は無いのです。つまり、考えることをしなくなる。ひいては、生きるためという名目で、何をしても許されるような気分になってくる。これこそ、人間が人間で無くなるということだと思います。
ネタバレになりますが、実はイリーナは同じ女性として、頼る者のいなくなった女性達に選択肢を与えています。ただ弱者として逃げ惑うのか、それとも男性に対抗できる武器を持って戦うのか。究極の二択ですが、男女平等というのはそういうことなのだと、身をもって教えているのです。
🗓5/30 読了