新撰組と流山 | きゅうの休憩室

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ドールを始めたのは2015年。
コロナの自粛生活がきっかけでアニメに転向。
工作はチマチマと続けていますが。。。



こんにちは。


このあいだのブログで
赤城神社と流山の昔話しについて
ご紹介しましたが…
今日はその続きを。
流山における新撰組の足跡を
たどってみます。


新撰組に多少でも興味のある方は
流山の地名をお聞きになったことが
あると思います。
江戸時代末期、幕府側だった新撰組が
新政府軍に追われ逃げ下る際に
立ち寄ったところです。





ブログは江戸川の土手からスタート。
前回、一面の菜の花を撮影した場所は
武蔵野線の南側ですが
良く手入れされていてきれいでした。


今回の場所は1キロくらい上流で
丹後の渡しがあった場所です。
菜の花もまばらなので
なんとなく黄色っぽい土手です。




近藤勇ら新撰組は
五兵衛新田の金子邸に集結した後
丹後の渡しで渡ったという説と
水戸街道経由で流山入りしたという説の
二通りの説があります。


渡しは旧流山橋が架けられて無くなり、
橋は下流に移転し橋脚が残りました。
余談ですが平井堅の初期のMVに
登場する場所です。


土手から見た赤城神社です。

土手から旧街道に向けては

歴史ありげな細い路地が何本もあり

小さな祠も散在しています。





赤城神社に向かって進み、
旧街道を左折すると…
一茶双樹記念館があります。


みりん醸造の創業者の一人で
秋元何某さんの旧家だそうですが
俳句の小林一茶さんは友だちで
しょっちゅう遊びに来ていたとか。
資料館になっていて見学料は百円です。




その前を通過し少し行くと
みりん工場の中を通り抜けます。
江戸時代後期創業の
白みりん醸造がルーツ。
(万丈=万上=マンジョウ本みりん)
現在は亀甲満の工場です。




工場に突き当たる微妙なカーブの道。
鉄ちゃんにはピンとくるカーブですが
流山駅から工場への引込線の跡です。


そこも過ぎて少し先を左にまがると
ゆがんで、地震でもあったら
崩れそうな蔵が見えてきます。





ここがお目当ての場所
近藤勇陣屋跡です。




今は蔵だけが残っていますが
当時は長岡屋という味噌屋でした。
ものの本によっては酒蔵だったりしますが
味噌屋を秋元さんが買収して
酒屋なった、というのが正解です。




新撰組→司馬何某の本や映画では新選組

を使ったので新選組が一般的になったけど

元は新撰組だったと思います→の流山前後

の行動は看板を見ていただくとして、
この地の重要なポイントは、近藤勇が偽名を

名乗り自分達は新撰組ではないと主張、

でも結局バレて板橋で処刑されるのですが

土方たちとの決別の場所となったこと。


勝てば官軍、負ければ賊軍のとおり

ここでは完全に悪者軍団、不良の集りです。

まあ、その頃の討伐隊の西郷軍も

後に賊軍として討伐されますが…

大政奉還の混乱期のこと、

何が正義か本当のところはわかりませんね。

(私の曽祖父は後の西郷軍にいました)


最近、陣屋跡の隣に売店ができていて
新撰組ゆかりの(名前がついた)お酒や
土産品を売っています。
お膝元、みりんのセットもありました。





陣屋跡の少し先には閻魔堂があります。
中は真っ暗で何やらおどろおどろしい。
暗闇に目が慣れてくると
かすかに閻魔さまが見えてきますが…

今時のデジカメは高性能で、
ISO感度を12800に設定、
1/20でシャッターを切ると…
あらま! はっきり写っちゃいました。
なんか、やっちいです。(ゴメンナサイ)



そのまま道なりに進んで
さっきの旧道から1本江戸川よりの
車道に出ると和菓子の清水屋があります。
建物は国指定の文化財になっています。
新撰組に関連した名前のもなかや
白みりんを使った菓子があるみたい。




そのはす向かいには店蔵があります。
万華鏡屋さんで、見るだけでもOK。
もちろん購入もできます。




だいぶ日が傾いてきました。
出発点近くのギャラリーで新撰組展を
やっていたので行ってみましょう。
みりん工場のタンクの脇を通って
最初の旧街道を戻ります。





とてもりっぱなギャラリーです。
こちらも秋元何某の屋敷跡を利用。
杜のアトリエ黎明といいます。



「新撰組と流山」展の看板が出ています。
あーっ!! 5時までだった!
今ちょうど夕焼け放送が流れたとこだ…


うーむ残念。。。
この次にまた… 
なになに、4/15までだって!?