でぶるまんの沖縄の~と
10月の最後の週末、
沖縄県に行ってきましてん。
今回のテーマは『歴史探訪』。
いまいちキチンと理解してない
「沖縄の過去」に、
ちょこっとだけでも
触れさせていただこうと、
自由時間のすべてを使って
一人でうろうろすることに…
そーゆー時にまず重宝するのが
やっぱり路線バスv(^_^)v
ちょっと系統がややこし~かな。
それを理解したらすんごく便利♪
ただ、運転手さんによって
違うんでしょーけど…
停留所ごとに、発車してから
ドアが"がしゃ~ん!"と閉まる。
なかなかワイルドでゴーカイな
公共交通機関ではあります。
1)ひめゆりの塔
糸満バスターミナルで乗り継ぎ
以前からぜひ来たかった場所へ。
女学生の皆さんが命をかけて
負傷者の救護や遺体処理などの
献身的な活動を行った
自然洞窟(ガマ)がぽっかり口を…
畏怖の想いにかられ、一礼。
僕は無宗教・無信仰の男なので、
献花や合掌はしません。
ごめんなさいm(_ _)m
ひめゆり平和祈念資料館。
言葉で表現できないほど悲惨で
恐ろしい体験をされた方々の
リアルな証言や資料に触れて、
「殺し合い」が本気で怖くなる。
記念館を出て、もう一度だけ
石碑と、ガマに一礼をした。
帰りの路線バスで一緒になった
沖縄お元気おばーちゃん軍団と
わいわい盛り上がってる中で、
おばーちゃんの一人が
「ひめゆりの塔は有名だけど、
沖縄の者にとったら、
何十とある慰霊碑の一つ。
でも、ほかには誰も行かない」
…と、笑いながらそ~言った。
かなり体のあちこちに刺さった。
2)対馬丸記念館
賑やかなお祭り会場で知り合った
きゃぴきゃぴ女子高生軍団から
「戦争の話を知りたいのなら
ぜひ見て欲しいところがある」
…そう教えてもらったので、
ひとり、モノレールに乗った。
国際通りを軸に、
ちょ~どいい距離で駅があって、
よそ者でも実に乗りやすい♪

ただ!
…高所恐怖症の人は
やめといたほ~がいい( ̄- ̄;)
国際通りの県庁前駅で下車して、
ここから海方向に歩いて15分。
静かな住宅街の一画に、
「対馬丸記念館」は
目立たない感じで建っていた。
月曜の朝とゆ~こともあって、
その時間の入館者は、僕と、
まさに沖縄!って顔立ちをした
おばーさんがおひとりだけ。
一緒にスクリーンでビデオ観賞。
「対馬丸」は、終戦の1年前、
沖縄戦の邪魔になる子どもたちを
親元から強制的に引き離して
1.500人近い子ども・教員を積み、
長崎に疎開させるための貨物船。
船団を組んで那覇を出港した。
2日後の夜、
米国海軍の潜水艦の魚雷が命中。
10分ほどで沈没した。
船団は自船の被害を恐れて離れた。
大半の子どもたちは
船倉に残されたまま海中に没し、
甲板に逃げ出た者たちも、
貨物船の高い手すりに阻まれ
容易には逃げらなかった。
1.476人が死亡。
奄美の海岸には大量の遺体が
流れ着いた。
これが対馬丸事件。
ビデオの後、女性スタッフさんが
詳細を説明してくださった。
対馬丸の沈没は"軍の機密"とされ、
奇跡的に生き延びた子どもにまで
かん口令が敷かれる始末で、
事件が公表されたのは戦後のこと。
だから、この記念館も、
極端に遺品が少ないそ~です。
その説明を聞きながら、
静かに泣き続けてたおばーさん。
時おり、小さくつぶやく
「戦争ってだめねぇ」って声が、
少し英語なまりに聞こえた。
実はこの女性、
対馬丸の犠牲者の娘さんだった。
わざわざここを訪れるために、
住んでいる米国から
来日したんやそ~ですの( ̄o ̄)
二人で女性職員の話を聞き終え、
階下の展示室に降りかけた時、
彼女が階段で立ち止まった。
「ここを降りたら
涙が止まらくなりそうで怖い」
その思いは痛いほど分かる。
「泣いている人がいることを
きちんと伝えたほうが、
犠牲者の供養になりません?」
長年の無宗教者らしからぬ、
僕のかる~い言葉やったけど、
おばーさんは「うん」と言って
犠牲者の写真がずらり並んだ
資料展示室に降りた。
ここで僕とおばーさんは、
しばらくいろいろな話をした。
でも…文字に書いちゃうと、
この女性との出会いが
過去のものになりそ~で…
書かないのだ( ̄▽ ̄)わはは。
おばーさんと別れる時、
握手をしてもらった。
「出会いに感謝します」
するとおばーさんは
「いつまでも元気でね」
そう笑ってくれた。
僕にとって、今回の沖縄は、
知らないことだらけの自分を
ちょっと振り返らせてくれた、
出会いの時間やったです。


