音楽室がシーンとなってその後 | 機嫌よく元気よく

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メンタルを病んで、教員を定年前に辞めました。新しい生活を送っています。

高校時代には、部活以外にいい思い出が少ないです。

わたしはスクールカースト下位だったので。

 

そんなわたしにスポットライトが当たった出来事がありました。

音楽の授業で、「何をやってもいいから何か音楽をやれ」という課題があったんです。

 

ギターを弾いて歌う人が多かったです。

西城秀樹みたいに着飾って踊った人もいたようです。

わたしがやったのはピアノ。

YMOの「ライディーン」を弾いたんです。

 

 

わたし、ピアノなんて習ったことがないんです。最初は、自分もギターを弾いてフォークソングでも歌おうと思っていたのです。そのギターの本に、たまたま「ライディーン」の楽譜(ピアノ)が載っていたんです。何を思ったか、「これを弾こう」と思ったんです。

 

ピアノなんて習ったことがないんです。弾いたことがない。

母親が反対しまして、

「できるはずがない。やめた方がいい。」

と言いました。でも、練習したんです。毎日。家でも学校でも。

だんだん弾けるようになっていきました。

 

発表の日。特に緊張もなく弾いたように記憶しています。

淡々と演奏して終わった時。一瞬の静寂。そして、割れんばかりの拍手と歓声。

スクールカースト下位のわたしに、珍しくスポットライトが当たった日でした。

学年の話題になりました。

 

ピアノは、その後も時々弾きました。

大学の音楽の授業ではバイエルの90番を弾きました。

教員採用試験では、「ふるさと」をまともな(簡易伴奏でない)楽譜で弾きました。

教員になってからも、誰もピアノを弾ける教員がいない時は校歌の伴奏をしました。

1か月くらい死に物狂いで練習するんです。すると、弾けるようになります。

学校を閉じる閉校の式典でも校歌と君が代を伴奏しました。

 

母への意地だったのかも知れません。

「できるはずがない」という言葉に、ずっと反発していたように思います。

弾き終わると全然弾かなくなるので、今はピアノ、1曲も弾けません。

もったいないですね。

 

畑のピーマンです。もう少ししたら食べます。