3月11日の震災追悼のニュースを見たり、聞いていると震災当時の事を思い出す。


今日は3月15日、次男の誕生日。震災の時は中学1年生だった。

津波の水が引いて自宅に入れそうだと聞いて、妻と次男の3人で避難先から自宅に行ってみた。

途中、津波の泥を被って色を無くした家々や瓦礫の山を見ながら車を走らせた。

自宅から1キロくらい手前に車を止められるスペースを見つけ、そこから歩いて自宅に向かった。

水は引いても長靴の半分くらいの高さはあった。

瓦礫の山を避けながら何とか自宅に着くと、1階部分が大破した我が家があった。

2階までは水が上がっていない様子だったので、着替えや貴重品を持ち出す事にした。

とはいえ、瓦礫の間を持ち帰るので限られた物を3人で手分けした。

1階の泥の中に大型トラックの大きなタイヤが4個転がっていた。このタイヤが津波の中で家を破壊したのだろうと想像がついた。

その時の写真が無いのは仕方がない。(無い方がむしろ良いかも)


次男は口数が少ない性格で黙々と過ごしていた。

自分の誕生日に被災した家を見たり、荷物を運ぶことになるとは思わなかっただろう。

当然、その年はお誕生日のお祝いどころではなかった。今ではアパートで一人で暮らしている。

お誕生日おめでとう㊗


震災で自宅を失ったが家族は全員無事だった。その後も何かとあったが、別の地区に自宅を再建する事も出来た。

たくさんの人に支えられてきた。感謝しなからこれからも頑張ろう。