辞退までの経緯と心境。 | 柔道家・野村忠宏のブログ 『Nomura Style』

辞退までの経緯と心境。


記者会見


昨日、全柔連から世界柔道欠場の公式発表がありました。



同日、夕方からミキハウス本社にて合同取材を受けました。




右膝の怪我をして、3ヶ月半。




診断書には、前十字靭帯断裂、内側側副靭帯損傷、

半月板損傷、大腿骨外果骨挫傷と書かれていました。




怪我をした直後は、ドクターやコーチ陣と話しして、

手術を考えた時期もありました。



ただ手術をすれば、どんなに早くても復帰まで半年。




どうしても世界選手権に出場したいという思いで、

手術は受けずに、競技を続けることを決めました。




『何とか間に合ってくれ!』と願いながら、

治療、リハビリ、出来る範囲の稽古を精一杯やってきたけど、

残念ながら世界一を目指せるまでには回復しませんでした。




確実に動きや技が良くなってきてるのは間違いないけど、

相手の技を受ける部分で不安があり、

試合では使用禁止の金属入りのサポーターじゃないと、

安心して柔道が出来ない状況です。




このような状態で、外国人選手と激しい試合をすれば、

再びヒザを痛める可能性が高く、その場合、

手術は免れないとドクターに言われました。




そうなれば、北京五輪の選考会に間に合わない可能性が高く、

俺の現役生活はそこで終わることになります。





ただ、来年の北京挑戦で現役を退く俺にとって、

今回の世界柔道は、現役生活最後の世界選手権。




苦しんで獲得した代表権を他の選手に譲るのは、

どーしょーもなく悔しいし、辛いです。




長野合宿(8月20日)の段階では、

コーチ陣との話し合いの中で強行出場を決めたけど、

その後、金属入りサポーターを外し、

相手の技を受けながらの稽古をしたところ、

悲しいくらい自分の柔道が出来ませんでした。




膝の不安定さと、怪我に対する恐怖心が大きな原因です。




怪我の状態、気持ち、稽古量、北京五輪のこと、

今勝負することでのリスク、辞退することでのリスク、

一度は出場を決意したものの、それを覆すこと・・・




色んな事をひっくるめ、悩み抜いた末の決断です。





俺の活躍を楽しみにしてくれていた人、

俺の頑張る姿を見て励みにしてくれている人、

今回の決断は、多くの人の期待を裏切る事になったと思う。




大会直前の辞退という事で、関係者の方々には

多大な迷惑をかけた事になったと思う。




また、個人競技ではあるけど、

『世界一を目指して頑張ろう』と、一緒にやってきた、

他の代表メンバーにも申し訳ない気持ちで一杯です。





本当にすみません。





俺の欠場で、補欠の江種選手が出場します。

ライバルでもあり、天理大学の後輩でもあります。



彼もベテランやし俺の状態を知った上で、

それなりに心と体の準備はしていたはずです。




江種の活躍は、俺の闘争心に火をつけるやろうし、

皆さんは応援してあげて下さいね!





アテネ挑戦の頃から年齢的には厳しいと言われながらも、

今なお現役続行しているのは、

オリンピックで四連覇して、五輪の歴史の1番上に

『柔道 野村忠宏(日本)』という名前を刻みたいからです。





正直なとこ、怪我してから今まで

強気で前向きな姿勢を貫くのはしんどかった・・・




けど、今回辞退した事で、気持ちをリセットする時間と、

もう一度自分をつくり上げる時間を得ました。




目標を北京一本に絞ったからには、

野村スタイルで頑張って、頑張って、頑張り抜きます!





今回の決断は、俺のでっかい夢のため、

そしてこの決断が間違ってなかった事を証明するためにも、

北京五輪に出場して、絶対に金メダルを獲りたいです!




どんどんプレッシャーをかけてくれてかまいません。

みんなで俺の夢を支えて下さい。