のむらりんどうのブログ       ~君知るや ふたつの意識~ -3ページ目

のむらりんどうのブログ       ~君知るや ふたつの意識~

2002年9月22日の早朝。目覚めて布団の上に起きあがった瞬間、私は「光の玉(球)」に包まれたのです。以来、「自我」(肉体と時間に限定されたこの世に存在する私)と、「真我」(肉体を超えて永遠に宇宙に実在する私)の、ふたつの意識を持って生きています。

 

 

 

     そもそも「臓器移植」って必要なの?

 

 

    先日の朝日新聞の「声欄」(2023年8月28日付)に

   以下のような投書が掲載されました。

    投書者は18歳の高校生。文中には「移植医療の課題

   点を知ることができた」とあり、真摯にものごとを理

   解しようとする姿勢に感心しました。

 

    しかし――。「人間とは何か」をいつも考えている

   私は、「移植医療」には果てしない疑問があります。

   つまり、そのことによって患者のみならず、周囲に新

   たな不安を生じさせるからで、とても納得することが

   出来ないのです。

 

                                 引用します。

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    (声)  移植ドナー 心のケアの拡充を

          

               高校生 寺尾真也 (大阪府 18)

 

 親族が生体腎移植を受けることになった。主治医や移植コーディネーターの方々と話す機会があり、移植医療の課題点を知ることができた。

 臓器を提供するドナーは移植前、日常生活を送りながら通院や検査、健康管理とやるべきことが多い。だが移植後は、臓器提供を受けるレシピエントと違って医療との関わりは減る。健康なのに手術を受け精神的負担は大きいのに、それを表出する機会もなく行き場のない気持ちに苦しんでいるように見えた。ドナーの移植後に関する情報が少なく、気軽に相談できる場所がないからだと思う。主治医の先生は「移植医療に携われる医師が少ない」と言っていた。親族の病院でも、移植医療は限られた医師や看護師に委ねられているように感じた。増加している患者に対応するため、ドナーへの対応にまで手が回らないのではないか。

 現在はドナーへの手術は安全性が向上し、身体的負担も軽減されているそうだ。同時に、ドナーの不安に対する心理的サポートも拡充してほしい。ドナーがつらくなったり悩んだりした時に、医療現場で気軽に相談できる体制をより拡充していくことを強く願う。

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          文中の言葉をまとめると、こういうことでしょう。

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       臓器を提供するドナーは移植前、日常生活を送り

    ながら通院や検査、健康管理とやるべきことが多い。

    だが移植後は、臓器提供を受けるレシピエントと違

    って医療との関わりは減る。健康なのに手術を受け

    精神的負担は大きいのに、それを表出する機会もな

    く行き場のない気持ちに苦しんでいるように見えた。

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  ●そこで、私の疑問?です。

    あなたのドナーに寄り添う気持ちはよくわかります。

    しかし、

  「行き場のない気持ちに苦しむ」まで

   してどうして人はドナーになるの

   でしょうか。

 

 

               

 

 

      ふたたび、みたび、哲学者・池田晶子の言葉を掲示します。

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        科学という知の一形態は、それ自体としては、知ることへ

       の純粋な欲求である。しかし、それが、哲学的反省を経るこ

       となく、そのまま技術として現実へ適用されるとき、人は

       過(あやま)つ。

        たとえば、臓器移植という技術、あれを最初に誰が望んだ

       だろうか。誰があれを必要としただろうか。決して患者では

       ない、ここで間違えてはならない。患者は、あのような技術

       がなかった頃、自身の病と生死とを、そのようなものとして

       受け容れていたはずなのだ。天命を知り、自然に従ったはず

       なのだ。しかし、所与のものとしての技術の存在を知り、患

       者はかえって迷うことになる。これは幸福なことなのだろう

       か。少なくとも私には、そうは思われない。私にとって、生

       存することそれ自体は、求められるべき価値ではないからだ。

       「簡単便利な臓器移植」、こんなに人間を馬鹿にした話はな

       い。

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      人として生まれた者はどう生きるべきか、

        これらの言葉に言い尽くされていると

            私は考えるのですが。

 

        

 

                 (記 2023年9月3日 令和5)