*本・文学・ことば(26) 「ぜんぶ、すてれば」に救われる? | のむらりんどうのブログ       ~君知るや ふたつの意識~

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2002年9月22日の早朝。目覚めて布団の上に起きあがった瞬間、私は「光の玉(球)」に包まれたのです。以来、「自我」(肉体と時間に限定されたこの世に存在する私)と、「真我」(肉体を超えて永遠に宇宙に実在する私)の、ふたつの意識を持って生きています。

 

 

    何も、必要ありません

              ぜんぶ、捨てれば……

 

 

     中野善壽さんという方が書かれた『ぜんぶ、すてれば』という

     本を読みました。

 

   その生き方の根幹にあるのは「何も持たない」ということ。

   読み進むうち、この歳になった私にとっても目からウロコでしたね。

 

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    何も、必要ありません。

    ぜんぶ、捨てればいいんですよ。

  

  中野善壽、七十五歳。

  伊勢丹、鈴屋で新規事業の立ち上げと海外進出を成功させる。………

  大規模な改革を実施し、老舗の大企業を機動力溢れる組織へと変貌させた。

 

  その生き方の根幹にあるのは「何も持たない」こと。

  家や車、時計は持たない。お酒もタバコも嗜まない。

  お金も若い頃から、生活に必要な分を除いてすべて寄付している。

 

  何も持たないからこそ、

  過去に縛られず、未来に悩まず、

  今日を大切に生きることができる。………

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実業家でありながら、儲けはほとんど寄付してしまう慈善家。ミニマリストで、家やクルマなどは持たない。世の中の生起には執着せず、まるで禅僧のようです。その行動から、私はふと、空海を連想しました。小難しい感じはまったくなく、センスの良いハイカラな日本人男性を思い浮かべるのでした。

 

   昨年(2020年)春に出版されたようですが、一風変わった書名に

   惹かれました。ページを繰っていくと、こんな言葉が…。

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    捨てる以前に、持たなくていい。

    家もクルマも、時計さえも。

 

  僕は捨てる以前に、モノをできるだけ「持たない」ライフスタイルを選んで

  きました。

  家は台湾に一応ありますが、賃貸暮らし。

  家具もごく限られた最小限のものだけで、

  日本で仕事をするときには、ホテルなどに滞在しています。

  クルマもなし。高価な腕時計にも興味はなく、

  仕事の打ち合わせを時間内で終えるための液晶時計が一つあれば十分です。

 

  日用品も決して高級品ではありません。

  服は通りすがりのアジア各地でパパッと、

  いつでも捨てられるくらいの気軽なものを。

  食べ物はコンビニの新商品を選ぶのが一番楽しい。

  御馳走は会食でいただくだけで満足。

  「経営者としての収入を、家財に費やせばそれなりのものが手に入るでしょ

  うに」と不思議がる人も多いのですが、僕はまったくモノに執着がありませ

  ん。

  持たなければ、生活がモノで埋め尽くされないし、

  土地や家を売買する上での煩雑な手続きもしなくていい。

  何よりも災害での心配が一つ減る。

 

  何より身軽な生き方が好きなのです。

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  うーん、いいですね。ただ、ちょっと禁欲的かな……。

 

                  +

 

 話は変わりますが、<世界で最も影響力のある100人>として知られる、こんまりさんこと近藤麻理恵さんが世に出られてから、片付けや断捨離といった言葉が巷を賑わせるようになりました。

 

 私も以前、ふるさと京都にいたころは自宅を所有していましたが、その後、大阪を経て東京に移ってからは賃貸のマンションに住んでいます。妻はどうか分かりませんが、私は自宅を手放したから寂しいとの思いは全くありません。むしろ、身軽になって爽快です。また、隣近所のお付き合いから、設備の修理なども気にせずに済んでいます……。今はコロナ下で旅行は控えていますが、外出はしやすい。東京は地下鉄とタクシーが充実しているので、自家用車は不要です。いや、自家用車は不用品と思ってますから、こればかりは考えもしません。

 

 おかげで、家の中はスッキリ。ただ残念?なのが私の部屋で、本があふれかえっています。本だけは手放せないのです。なぜなら、「この世を生きた人びとの思索の源泉」なのですから……。

 

                  +

 

 

 ところで、人生の殆どを生まれ故郷の京都市内で過ごしてきた私。我が家の近くには清水寺がありました。はたちのころ、寺の貫主だった大西良慶さん『ゆっくりしいや 百年の人生を語る』という本を出されたのです。ベストセラーにもなり、すぐさま読んだのですが、「今からゆっくりしていたら、この先の人生どうなるやら…」と、思わず本を伏せたことがありましたっけ。

 

それから半世紀――。論語に云う「惑わず」「天命を知り」「耳順い」「心に従う」年齢を過ぎて、さてこれから先をどう生きるか、ということになって、この『ぜんぶ、すてれば』はたいへん参考になりました。「日常を生きる」方法については、いちばん感銘を受けた本ではないかと思います。

 

                  +

 

この日本――。古くには西行が、下って方哉や山頭火らがいました……。いずれも、五七五や五七五七七の俳句や和歌の世界に生きたのです。つづめてつづめて己を見つめ、完成されたものでした。

 

 

                       (記 2021.10.2 令和3