拉致の「加害者」と「被害者」 共にクリスチャンという皮肉
天に召された横田滋さんを想う
「娘を返して」――
その一念で生きてこられた横田滋さん(87)が先日、亡くなられ
た。訃報を聞いた私は、ただただ、やるせない気持ちで日々を送っ
ています。
北朝鮮に拉致された最愛の娘・横田めぐみさんは、今も彼の地に
いるのです。めぐみさんは行方が分からないのではなく、日本海の
向こうで現在も生存しているのです。それが分かっているにもかか
わらず、日本政府はいまだに彼女を救出できない。
時間ばかりが過ぎてゆく――やり場のない滋さんの苦しみはいか
ばかりだったか。
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このことについて、7月3日付の朝日新聞夕刊に次のような一文
が掲載されました。編集委員の北野隆一さんが「めぐみさん拉致、
耐え続けた年月」と題して書かれたのです。
そして、それを読んだ私にも、ある思いが……。
(引用します)
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(取材考記)
めぐみさん拉致、耐え続けた年月
横田滋さん、笑顔の奥の「強さ」
6月5日に死去した横田滋さんの温和な笑顔の奥には「強さ」があった。妻早紀江さんは「器用ではなかったが全身全霊を打ち込み、まっすぐ正直にがんばり抜く強い人。絶対に愚痴や弱音を言わなかった」と振り返る。
1977年に長女めぐみさんが失踪し、絶望して死ぬことばかり考えた早紀江さんは聖書に出あい、84年に新潟市の教会で洗礼を受けた。しかし滋さんはキリスト教に入信しなかった。「神がいるならなぜ、愛する娘を突然奪う不条理を許すのか。めぐみを連れてきてくれるなら、どの神様でも拝みます。とらわれた娘が苦しんでいるのに、父の自分だけが宗教で心の安定を得たら申し訳ない」と語ったという。
苦しい年月を支えたのは「めぐみが生きていると信じること」と「連れ去った犯人への憎しみ」だった。
ただ、憎しみだけでは解決しないこともわかっていた。野田佳彦首相(当時)に「制裁、制裁といっても全然解決していない。交渉のチャンスがめぐってきたら緩めるべきです。(制裁)強化が『交渉したくない』との意思表示になってしまう」と伝えたという。
2010年度に導入された高校無償化制度の朝鮮学校への適用について当初、「誤った教育をするところに補助を出すのは将来に禍根を残す」と反対した。しかし12年ごろから「生徒には日本永住権がある。間違ったとんでもないことを教える学校に出さないのならわかるが、拉致を理由に朝鮮学校に補助金を出さないのは筋違い。単なる嫌がらせです」と言うようになった。
滋さんは17年11月、川崎市の教会で洗礼を受けた。半年後に入院し、退院することなく亡くなった。
葬儀翌日の記者会見で私は「滋さんの強さ」について尋ねた。めぐみさんの弟哲也さんは「娘の救出のためすべてをなげうち、人生の半分を費やしても活動するのは、子どものためだったらみんなすること。親として普通のことだと思います」と答えた。
拉致問題を取材して20年余。滋さんは娘を奪われた理不尽な状況にも理性を失わず、静かに耐え続けた。その「強さ」が娘との再会という形で報われなかったことが残念で、悔しい。
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(註 文中の太字変換は、りんどうによる)
<1977年に長女めぐみさんが失踪し、絶望して死ぬことばかり考えた早紀江さんは聖書に出あい、84年に新潟市の教会で洗礼を受けた。しかし滋さんはキリスト教に入信しなかった。「神がいるならなぜ、愛する娘を突然奪う不条理を許すのか。めぐみを連れてきてくれるなら、どの神様でも拝みます。とらわれた娘が苦しんでいるのに、父の自分だけが宗教で心の安定を得たら申し訳ない」と語ったという。>
苦しみの中にあった母親の早紀江さんは聖書に出あい、教会で洗礼を受けました。しかしその時、滋さんはキリスト教に入信しなかったのです。が、後に洗礼を受けることになります。
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話は変わりますが、上記の「滋さん・早紀江さんとキリスト教」の記事に出あった私は、「うーん」と唸りました。ちょうどその時、最近出版された姜尚中さんの『朝鮮半島と日本の未来』(集英社新書)という本を読んでいたのです。
おどろいたことに、そこに書かれていたのが<金日成一族とキリスト教>だったのです。
(以下、該当部分を引用します)
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北朝鮮という国家を特徴づけるものはいくつかあるが、まずは歴史学者の和田春樹が言うところの「遊撃隊国家」がある。満州抗日遊撃戦争の戦士だったとされる金日成の「神話」は、北朝鮮建国の「神話」と一体化されている。パルチザン的行動原理が国家中枢にあった北朝鮮では、危機に陥るたびに「抗日遊撃隊式で闘おう」と国民に呼びかけられ、唯一の司令官である首領に、遊撃隊員と見なされた国民全体が従うことを求めていった。朝鮮戦争をくぐり抜けて臨戦態勢を敷く兵営国家に変貌していったのは、ある意味で自然な成り行きだった。
さらに90年代半ば以降の経済崩壊と食糧危機の中で成立した、最高司令官である金正日と軍隊が国家と党を管理し代行する「先軍政治」には、和田の言葉を借りれば、「正規軍国家」モデルが当てはまるのではないか。
もう一つ、北朝鮮を表すキーワードとして「聖家族」(もともとは幼少年期のイエスと聖母マリア、そして父ヨセフを指す用語。転じて、金日成の血統を特別なものとして呼称した用語)を挙げておきたい。「永遠の主席」「偉大な首領」と崇められる金日成は本名は金成柱で、日本統治下の1912年、平壌郊外大同郡南里で生まれている。当時の平壌はアジアにおけるキリスト教の一大中心地で、金日成の母、康盤石は熱心なクリスチャンであり、外祖父はキリスト教長老会の牧師だったと言われている。金日成の父、金亨稷はクリスチャンを中心に組織された民族主義団体、朝鮮国民会の結成にも参加していたが、当局に逮捕され、出獄した後、満州に向かった。金日成も家族とともに満州に移り住んだ後、父の命により、10代前半の2年を祖父の教会学校で学んでいる。キリスト教文化の中で子供時代を過ごした金日成は幼少期に洗礼を受けていた可能性があり、いずれにしても、金日成がキリスト教に深く馴染んでいたことは間違いなさそうだ。
ちなみに、最初の金日成の銅像がベールを脱ぐのは奇しくも1949年のクリスマスであったが、数ある政治勢力の中から金日成が本格的に個人崇拝の対象となるのは、競合する勢力の粛清が行われる朝鮮戦争休戦後のことである。やがて「偉大なる指導者」として神格化された金日成とその息子の金正日、孫である金正恩という、血統主義に基づいた三代にわたる「聖家族」のイメージが形成されていく。……
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(文中の太字変換は、りんどうによる)
<「偉大なる指導者」として神格化された金日成とその息子の金正日、
孫である金正恩という、血統主義に基づいた三代にわたる「聖家族」の
イメージが形成されていく。……>
奇妙な符合ではありませんか。拉致を主導した側と、拉致された側。互いが「キリスト教」という同じ宗教を信じつつ、一方は無慈悲な行動に走り、もう一方は救いを求めているのです。なんというパラドックス。大いなる齟齬と矛盾――。この状況を、天上のキリストはどのように眺めているのだろうか。
古今東西、いくたの戦乱がありました。敵と味方の首領は、それぞれが戦勝祈願としてこんな言葉を吐きながら戦場に突き進んで行ったのです。「ヤハウェよ!」「アッラーの神よ!」「キリストよ!」「南無八幡大菩薩!」……
宗教とは何か――。それは自我意識をまとい、幻想の世界であるこの世を往来する人間の「か弱きこころ(精神)を慰撫するもの」にほかならない。しかし、「神」はみずからの意志(意思)として、「めぐみさん救済」に手を貸すだろうか。否。となれば、めぐみさんを救うものは他力の「神」ではなく、めぐみさん自身が自力で「神」となって自身を救わねばならないのです。そのことは、遠藤周作の小説『沈黙』を読めばわかる。
ひょっとして、めぐみさんは“聖家族”の一員として絡めとられているのではないか。もしそういうことであるならば、不本意な人生を歩まざるを得ないめぐみさんにも背理としての心変わりがあるかもしれない。
私の願いは、彼女自身がみずからの「愛」を問題解決の糸口として紡いで行ってほしい。彼女のおかれた現下の状況を鑑みるとき、それしか方法が考えられないのです。
はたして、われわれ人間は「神」を救うことが出来るだろうか。
(記 2020.7.9 令和2)