★自動車と人権(33) 開いた口が塞がらない 高齢運転者のわがまま | のむらりんどうのブログ       ~君知るや ふたつの意識~

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2002年9月22日の早朝。目覚めて布団の上に起きあがった瞬間、私は「光の玉(球)」に包まれたのです。以来、「自我」(肉体と時間に限定されたこの世に存在する私)と、「真我」(肉体を超えて永遠に宇宙に実在する私)の、ふたつの意識を持って生きています。

 

        テレビに映った「哲学なき人」の自動車観

 

         昨夜、(2020622日)午後11時からのテレビ番組

        「NEWS23」を見て、人間不信に陥りました。エゴの

          かたまりのような人を見たからです。

 

   新聞の番組欄のタイトルは

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     密着取材「池袋暴走事故」遺族が見た高齢運転の現実

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 「池袋暴走事故」がどういうものであったか、みなさんは知っておられるはずです。

 おおまかにいえば、このブログ「自動車と人権(26)」に記録していますが、87歳で杖をつかないと歩けない高齢男性の運転するクルマが東京・池袋で暴走し、11人が死傷したあの事件です。そして無残にも、何の落ち度もない31歳の松永真菜さんと長女で3歳の莉子ちゃん母子が死亡したのです。悲劇は日本じゅうに報道され、テレビに映る加害男性、飯塚幸三容疑者(元工業技術院長)の反省なき態度に、世間は憤激したのです。

 

 以来、飯塚容疑者は逮捕もされずに時間が経過しています。こんなことがあっていいのでしょうか。哀れなのは真菜さんと莉子ちゃんの夫であり父親の松永拓也さんです。憔悴しきったその姿を見た、多くの人たちが目を赤くしました。

 

 その後、拓也さんは街頭に立って飯塚容疑者への厳罰を求める署名活動を行い、39万人分の署名を東京地検に提出しています。

 

 テレビに映る拓也さんは、寂しさと怒りの気持ちを国民すべてに知ってもらいたいと、涙を流しながらこう言っていました。「家族に高齢者がいれば免許を返納するよう促して欲しい」

 

 

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 その事件を受けて、22日夜のテレビは「高齢者の運転」に焦点をあて、ある家族の葛藤を放映していました。発端は、「81歳の父親に免許を返納させたい。しかし、父はそれに同意しない。どうすればいいのか」という趣旨の手紙が(ある家族の)44歳の娘から拓也さんに届いたのです。それをもとにして、拓也さんとその娘、父親の3者によるテレビ対談が企画された、というものでした。しかし、その内容は衝撃的でした。

 

 <81歳のその父親の言葉>

■「クルマに乗るのが好きで手放せない。生活の場所が田舎で、他に移動の手段

  がないのでやめられない。免許は返納しない」

■「私にはまだ自動車の楽しみというか、それに乗りたいという(気持ち)のも

  ある」

■「自分たちのことは出来るだけ自分でやりたい(娘に世話をかけたくない?)」

■「クルマに乗れる範囲(年齢のこと?)は自分で判断したい」

■「免許を返上すれば、人生そのものが消極的にならざるを得ない。時の流れを

  待つだけの人生になる」

■「(事故による死者は)日本全国から見ればほんのわずか。100万人に1人

  くらいはあるかな。事故があっても仕方がない」

■「被害者も(事故のことを)月日がたてば忘れることが必要。あきらめること

  も必要」

 

――唖然としました。事故は当然起こるという前提での発言で、まるで他人事。クルマに乗るのは人間の「権利である」「事故が起きるのは仕方ない」と。

 

 ああ、世の中には、こんな人がいるのだ。クルマ社会の現実を客観的に見るのではなく、あくまでも利己主義をつらぬく態度。

 

 そして最後には、父親を説得している娘がこう言ったのです。「父は、加害者(飯塚容疑者)と同じだ!」

 

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 クルマが「暴力装置」となる原因について、私は、次の3点を指摘してきました。

 ①「道路設計と周囲の安全確保の不備」に問題がある。

 ②「自動車の構造」に問題がある。

 ③「運転者の資質」に問題がある。

 

 今回の番組は、③の「運転者の資質」について問うていたのですが――。

 

 この父親に欠けているのは、「哲学」なのです。つまり、クルマは所与の(この世の始めから、ずっとあった)ものではなく、近代になって発明され、出現したのです。それは自然の状態であったものではなく、人間がつくりあげたものです。したがって、それらは「厳格な規則・規律」のもとに利用されるべきなのです。

 

 この高齢者の父親の誤りは、人間が「空気を吸って生きている」のと「自動車を運転する」のとを同列に考えているところです。「空気」と「自動車」の違いを理解していないのです。(高齢者という)不安定な人間がエネルギーを加えるとき(自動車運転)、必ずイレギュラーが生じるのです。

 

 たしかにクルマを手放せば便利さは失われるでしょう。しかし、高齢者による運転は事故発生の蓋然性(可能性)がとてつもなく大きくなるのです。このことをこの父親に理解させるのはどうすればいいのか。

 

 「クルマは空気ではない。クルマは凶器(殺人機具ともなる)なのだ」ということを、口を酸っぱくして言うしかありません。

 

 

                     (記 2020.6.23 令和2