*随想(63) ふしぎな人 → 磯田道史さんのファンになった私 | のむらりんどうのブログ       ~君知るや ふたつの意識~

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2002年9月22日の早朝。目覚めて布団の上に起きあがった瞬間、私は「光の玉(球)」に包まれたのです。以来、「自我」(肉体と時間に限定されたこの世に存在する私)と、「真我」(肉体を超えて永遠に宇宙に実在する私)の、ふたつの意識を持って生きています。

 

 

              ユニークな親子

 

 かしこくて、おもしろくて、たのしくて、やさしくて、むかしのことを教えてくれて、ひとには真似のできないことをやってのけて、その言葉にはいつも新たな発見があって……

 

歴史学者の磯田道史さんを形容する言葉は尽きません。すっかり磯田ファンになっている私ですが、ひと月ほど前の朝日新聞に「磯田さんが父親のことを紹介している」記事が載りました。落語のような、ほんとに楽しい内容です。

 

               (2018129日付朝刊から引用します)

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  おやじのせなか

 

シーツかぶり登場、奇妙な男

 歴史学者 磯田道史さん   

 

 おやじは面白がりで、ナンセンスなことが大好きなんです。子どもの頃からびっくりすることばかりする人でした。僕や母が近所の人と一緒に井戸端会議をしていると、シーツをかぶってお化けになって出てきて。なぜそんなことをするのかと聞くと、「バカになる修業をしている」って真顔で言うんです。

 

 ドイツ語の辞書を毎日1ページずつ覚えようと、電車内でも一生懸命読むんですが、カバーには油性ペンで「エロ本」と書いてありました。好奇心が強くて熱心にいろんな本を読むけれど、猛烈な勢いで忘れるんです。「一度覚えて忘れた状態が教養だ」と思っているんですよ。

 

 岡山県の農業試験場で土の分析をしたり、途上国に農業技術を支援したりする仕事をしていました。旧藩政時代から代々ずっと役人をしていた家に生まれ、小さい頃は非常に体が弱かった。祖母は跡取り息子が風邪をひいてはいけないと思い、小学校を休みたいと言えば自由に休ませてくれた。実は出席日数も怪しかったようです。それでも自学自習の人で、地元の岡山大学農学部に進みました。8回の見合いをして、高校の英語教師だった母と結婚しています。

 

 そんな父親なので、僕が学校の勉強をしなくても、空き地で竪穴式住居を作って泥だらけになっても、怒ることはなかったです。成績はもう最下位に近くて、母親が心配になって注意するよう促すと「一番下には上がる楽しみがある」って、それだけ。僕が最初に入った大学を1年でかわる時も「その分1年多く勉強できていい」と言っていました。

 

 教育方針ではいつも、「子どもには時間、空間、安心感を与えろ」と繰り返していました。なんだか妙に説得力があるんです。これは僕自身の娘と息子の子育てにも影響していますね。

 

 近所のゴミを拾うのが、77歳の今も続けている日課です。家の掃除はほとんどしないので、母が他の人のところばっかりきれいにしていると言ったら、「いや、人のところではない。みんなのところだ」って。そういう大きい部分の哲学は間違っていないと思うんです。でも、やっぱり奇妙な男なんですよね。

 

        いそだ・みちふみ 1970年、岡山市生まれ。慶應義塾大学

      大学院文学研究科博士課程修了。「武士の家計簿」など著書多数。

      2016年から国際日本文化研究センター(京都市)の准教授。

 

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 『武士の家計簿』を出されたときは、よくぞここまで細部にわたって調べられるなあ、と感嘆の声をあげながら読んでいました。で、あれよあれよという間に「大学者」になられて……。

 

 いまは、京都にある国際日本文化研究センターの准教授です。センターは京都市の南、桂方面にあり、京都駅からバスで小一時間。最近は減りましたが、これまでよく講演を聴きに行っていました。どの先生方の話を聞いても飽きません。ありがたい知識の宝庫なのです。

 

 ところで、テレビの中で知ったり、磯田さんの話を聞いて感心したことがいくつかあります。

 

 ① 古文書の解読

 歴史学者として「古文書」を解読するというのは必須なのでしょうが、テレビの中の磯田さんはまるでその時代に生きていた人のように、スラスラと読んで行かれる。いや、ほんとに羨ましい限り。

 

 ② 図書館の話

 (たしか中学生の頃でしたか?)図書館で、書架の前に立った磯田さんがしたこと。まず上段の端の本を取り出して「中をパラパラッと眺めてタイトルを覚え」たあと本棚に返し、次の本をまた同じように取り出して「中をパラパラッと眺めてはタイトルを覚え」たあと本棚に返し……を繰り返し、すべての本のタイトルを“読破”したそうです。

 

これを聞いたのはだいぶ前のことですから、私の記憶違いがあるかもしれませんが、そのようなことをされたそうです。

 

からみれば、無駄に見える行動ですが、これを聞いて私は「う~ん」と唸りました。私も以前、そのようなことを思いつき、いつか実行しようと考えていたのです。磯田さんは若い頃にすでにされていたとか。さすがですね。

 

一見、不合理に見えても、じつはアタマの中にそのタイトルが“残像”として蓄えられ、以後の読書の手助けになるのです。いちど知った「タイトル」は必要な折りにアタマの中で展開されます。内容はあとで、その本を読めばいいのです。

 

 これはぜひ、若い人に勧めたい。人間、一生かかっても万巻の書をすべて読むことは出来ません。そこで、みずから専門とする本以外は、このような方法で“読書”できるのです。

 

 ③ 斎藤隆夫の色紙

 京都には毎月、「弘法さん」と呼ばれる東寺の縁日があります。ある日、古物店で「古い色紙」を見つけた磯田さん。家に持ち帰り調べると、なんと、あの<反軍演説>で注目された「斎藤隆夫」のものだったのです。安く手に入れたのですが、これは大層値打ちのあるものだから、と次の日にその店に返しに行った磯田さん。

 「おじさん、これは斎藤隆夫という人が書いたもの。自分が買った値段ではあまりにも安いので返します」。それを売った店の主人は、こう言ったそうです。「そうか。しかし、それは君が買ったものだ。だから、もう君のものだ」

 

 

 いい話じゃありませんか。あまりにも正直すぎるのでは、と思えるくらい人格者の磯田さん。ファンにならない人はいませんよねぇ。

 

 

                         (記 2019.1.14 平成31