台風襲来のニュースに脅かされる日々でしたが、日本海を行く25号が過ぎれば、どうやら秋晴れの日が続くことでしょう。
そんな中、欧州旅行を前にして、10年ばかり前の南紀旅行中に起きた出来事を思い出したのです。たしか季節は秋だったと記憶するのですが、こんなことがありました――
京都から大阪を抜け、JRとバスを利用して和歌山の串本、那智勝浦、新宮、熊野あたりを巡りました。過去に渓谷美を誇る熊野川の瀞峡までは行ったことがあるのですが、その奥にある「熊野本宮大社」は未踏の地で、妻と一緒に出かけたのです。
熊野三山と云われる「熊野速玉大社」「熊野那智大社」「熊野本宮大社」。「速玉」「那智」への参詣はすでに済ませていましたが、田辺市本宮町にある「本宮大社」への参詣は初めてでした。
熊野参詣の詳しい歴史について知ったのは、二十歳の頃に読んだ『平家物語』が最初です。平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて、その地は熊野別当が勢威を張っており、平清盛は熱心に京都と南紀を往還していたようです。
そして私も、やっと“念願”の熊野本宮大社に到着したのです。
バスを降りると、すぐそばに古い鳥居=写真右=が。そこをくぐり抜け参道を歩みはじめて数分後、前方に小高い山が見えました。小憩のあと、158段もあるという石段を上り始めました。途中、両脇には数えきれないくらい白い幟がなびいており、あらためて神域の荘厳さに触れたのです。そして、上り詰めた頂上の神門をくぐり抜けた途端、眼前の空間に、古風でどっしりと落ち着いた「檜皮葺の社殿」=写真左=が現れたのです。横に長く広い殿舎です。そして、前庭には玉砂利がぎっしりと敷き詰められた参拝場が。
社殿は3殿あり、向かって左手が夫須美大神(ふすみのおおかみ)・速玉大神(はやたまのおおかみ)の両神。中央は主神の家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)、そして右手は天照大神(あまてらすおおみかみ)が祀られています。背後には杉木立が生い茂っており、身ぶるいするような悠久の歴史が私に迫って来るのでした。
しばらくして、私と妻は社殿前の中央に立ち、うやうやしく拝礼を始めたのです。そして、最後に頭を上げたその時でした。とつぜん“神秘現象”が起きたのです――
なんと、見上げている目の前の社殿と背後の杉木立に、上空からキラキラと光る筋のような“雨脚”が、矢のようになって降り始めたのです。空は快晴ですが、社殿と木立の上には“雨”が燦々(という言葉でしか表現できない)と降りそそぎ、それはそれは神々しくて瑞々しい、なんともいえない情景でした。
どれくらいの時間、降り続いたでしょうか。まさに“聖雨”と形容するしかない現象でした。ただそのことには、妻も他の参拝客も気づいていません。それはそうでしょう。殿舎も木立も参拝客も…周囲一帯に“雨”が降っていても、誰ひとり濡れることはなかったからです――
ただ私は、めったに巡り合わせることの出来ない「随喜」に、神門を出るまで感激にふるえながら立ち尽くしていました。ずっと空を見上げながら。
神門を出たあと、私は「ふーっ」と息を吐き、そばにいる妻に声をかけました。「過去に経験したことのない、すばらしい大気だった。それに空から清浄な雨が降っていたね」と言うと、妻は「えっ」と声を発したあと、「たしかにそんな感じ。ほんとに、静かで清らかな自然の中を参拝できて良かった」と返事をしてくれたのです。ただ、「雨」という言葉をどのように捉えたかは分かりませんでしたが、それ以上、聞くことはやめました。
周囲を見まわして、そのような“現象”が起きていることを自覚する人は誰もいなかったのです。快晴のなか、何ごともなかったように時間が過ぎていきました。
私の目と心がとらえた奇跡の“聖雨現象”は確かなものでした。神秘の扉は、いつ、どこで私たちにそのすがたを現すか分かりません。私は“神との邂逅”をまたひとつ戴いたという嬉しさに、「ああ、ここへ来てよかった」と心の底から「真我よ、ありがとう」と感謝しながら社殿を後にしたのです。
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ところで、私が体験した“聖雨”で思い出すのが、「ファティマの聖母」と呼ばれる聖母マリア出現のことです。これは1917年にポルトガルのファティマで起きた有名な“事件”で、キリスト教ではカトリック教会がフランスの「ルルドの泉」などとともに、<奇跡>として公認しているものです。
それはこうです。「ウィキペディア」から、その一部を引用します。
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ファティマの聖母
ファティマの聖母は、ポルトガルの小さな町ファティマで起きた、カトリック教会が公認している、聖母の出現の一つ。ローマ教皇庁は奇跡として公に認めたが、第三の予言は長年にわたり秘匿した。何万もの群衆を前に太陽が狂ったように回転して見えたり、水源のないところから水が湧き、飲む者に奇跡的な治癒があったりしたことから、1930年10月13日現地管区レイリア司教によってこの出現は公認され、同年教皇ピオ12世は同地に巡礼する者への贖宥(免償)を宣言した。1967年には教皇庁により最初の聖母の出現のあった5月13日がファティマの記念日に制定され、歴代ローマ教皇が巡礼に訪れたり、この出現のメッセージに基づき世界の奉献を行った。……
1916年春頃、ファティマに住むルシア、フランシスコ、ジャシンタら3人の子供の前に平和の天使とする14-15歳位の若者が現れ、祈りの言葉と額が地につくように身をかがめる祈り方を教えた。その後も天使の訪問は続いた。1917年5月13日、ファティマの3人の子供たちの前に聖母マリアが現れて毎月13日に同じ場所へ会いに来るように言った。子供たちは様々な妨害に遭いながらも、聖母に会い続けて様々なメッセージを託された。聖母からのメッセージは大きく分けて3つあった。……
聖母からの大きな奇跡があった。
1917年10月13日、集まった7万人の群衆は雨に濡れていたが、太陽が狂ったような急降下や回転を繰り返し猛烈な熱で彼らの服は乾いてしまった。世界各国の天文台で当時こうした太陽の異常行動は確認されておらず、群衆全員が同じ幻覚を見たことになる。居合わせた新聞記者たちも目撃しポルトガルのあらゆる新聞に大々的に掲載された。群衆を散らすために山岳兵部隊が動員されたが、彼らも奇跡を目撃して回心した。……
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このことは当時、写真にも撮られ新聞にも掲載されています。
ふしぎの一言です。が、「幻想の世界」であるこの世においては、このようなことが起きても何らおかしくはありません。“奇跡”と呼ぶのは、この世に生きる人間が持つ「自我意識下」から発せられる言葉です。「真我意識」を纏う者には、あたりまえのように「見える」「起こる」ことがあるのです。
熊野の“聖雨”は、この世でただひとり、私だけの体験です。
(記 2018.10.7 平成30)