山口県の山中で行方不明になった2歳の幼児を、あっという間に助け出した尾畠(おばた)春夫さんの行動に対し、日本じゅうから称賛の声が届いています。
新聞、テレビ、ネットで伝えられる内容を総合すると、本人が介護を受けてもおかしくない年齢(78歳)であるのに、「命あるかぎり、人のために尽くす」という尾畠さんの人生訓にあります。
昨夜(8月18日)のテレビの中では、こんなことを言っておられた。「かけた情けは水に流せ。受けた恩は石に刻め」。ことわざを実践に移すことは難しいのに、ケロッとして言われるところがすばらしい。「ともかく行動」――私より年長の尾畠さんにここ数日、私は教えられることばかりです。
東日本大震災では、宮城県三陸町で捜索ボランティアをしてこられたとか。やはり、テレビの中で、「被災者の人たち全員が家に帰れるまで、好きな酒は飲まない」と。ここまで被災者に寄り添い、連帯する心情はどこからくるのか。ただただ、頭が下がる思いです。
尾畠さんのような人を「ブッダ(仏陀)」と呼ぶべきなのでしょう。
それにしても、東日本大震災で思い出すのは、お寺のお坊さんたちがどれほど被災者救済に力を貸したのか、ということです。たしかに一部のお坊さんは現地で読経をあげたりはしていましたが、尾畠さんのような行動をした人を寡聞にして聞きません。それに対する国民からの“抗議”がメディアでも取り上げられたのですが、仏教会から明確な答えは聞かれませんでした。
心ある市民や芸能人、それにヤクザと称される人たちも現地での炊き出しに参加したといいます。しかし、全国に7万7千もの仏教寺院、34万人もいるお坊さんたちのうち、いったいどれだけの人が現地で汗をかき被災者に寄り添ったでしょうか。堂宇伽藍の中に籠っているだけでは衆生の心はつかめません。「世俗仏教のすがた」を世にさらした瞬間でした。
備忘録として、朝日新聞朝刊社会面の記事を引用します。
(2018年8月17日、東京本社版)
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人助け、78歳準備万全 毎朝8キロ走・車に生活用具一式
山口2歳児保護の尾畠さん
山口県周防大島町で3日間行方不明だった藤本理稀(よしき)ちゃん(2)=山口県防府市=を発見した尾畠(おばた)春夫さん(78)は一夜明けた16日、大分県日出(ひじ)町の自宅で朝日新聞などの取材に応じた。「人の命は地球より重い」と話し、休む間もなく18日には西日本豪雨で被災した広島県呉市に向かう予定だ。
住宅街の一角にある尾畠さんの一軒家。部屋の片隅に衣服がきちょうめんにロール状に丸められ、いくつも積み重ねられていた。急いでボランティアに出かける時に、素早く着替えを準備するためという。そばには現場で着る赤色のつなぎが置かれ、愛用のヘルメットには「朝は必ず来る」の文字。被災者を励ますための言葉だ。
16日昼過ぎ、登山仲間の吉岡富男さん(74)夫妻が尾畠さん宅を訪ねてきた。活躍をニュースで知ったという。「本当に素晴らしい。まさにヒーロー」とたたえた。
吉岡さんによると、登山中に体調を悪くした仲間がいると、尾畠さんは自分の荷物をその場に置き、仲間を背負って下山するという。「足も速くて、私たちはついて行けません」。尾畠さんはいまも毎朝8キロ走り、鍛錬を欠かさない。
2004年の新潟県中越地震以来、全国の被災地でボランティアを経験した。11年の東日本大震災では、宮城県南三陸町で計約500日間活動。16年の熊本地震にも駆けつけた。今年は4月に大分県中津市耶馬渓町の土砂崩落現場へ。7月の西日本豪雨でも、広島県呉市で民家から泥をかき出す作業に汗を流した。
必ず軽ワゴン車に食料や水、寝袋などの生活用具を積み込んで出動し、助ける相手側に負担をかけないのが信条。活動費は自分の年金から捻出している。理稀ちゃんを家族に引き渡した15日も、祖父から風呂を勧められ「そういうものはもらえない」と断った。
元々は魚屋さん。捜索中、理稀ちゃんに気付いてもらえた「よしくーん」という大声は、店先で鍛えたものだ。ボランティアを本格的に始めたのは、大分県別府市にあった店を閉めた65歳のころ。「学歴も何もない自分がここまでやってこられた。社会に恩返しがしたい」と思ったからだ。
また今回のような事案があれば、元気なうちはどこにでも飛んでいくつもりだ。「何事も、対岸の火事だとは思わずに行動できる人が、もっと増えてほしい」と願っている。
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(記 2018.8.19 平成30)