けさの朝日新聞「声」欄(2018.7.31、大阪本社版)に次のような記事が掲載されました。投稿者の酒井さんの意見は正論であり、われわれがめざす社会はそうでなければなりません。
この世に生まれた人間は、どのような肉体的、精神的な事情を抱えようと、平等に生きていく権利を持っています。「共助」はあっても、「優生思想」を言い放つ権利は人間にはありません。
(引用します)
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「生産性」は生きる全てですか
主婦 酒井 純子(栃木県 46)
杉田水脈衆院議員様。子どもを作らない同性のカップルの方々を念頭に「生産性がない」から税金を投入することに疑問をお持ちだそうですね。
私の2人の子どもは重い知的障害があり、将来子どもを作れませんし働くこともできず納税もできません。議員さんがおっしゃるところの本当の意味で「生産性がない」子です。しかも教育、医療、福祉で税金を投入していただいております。
私は「普通=健常な子が持てる」と思っていましたが、少数派になり「生産性がない」子を産みました。ですが授かった命、かわいい我が子です。重要なのは、私は障害児を持つことになったこと、同性カップルの方は同性の方を愛する意識をお持ちになられたこと――それぞれ精いっぱい生きてきた中で起きたことなのです。
社会には思いがけず「普通」でなくなった方々がいらっしゃると思います。それを「多様性」と理解いただき、お考えを改めていただきたいのです。普通の方も少数派の方も命を懸命に明日に向かってつなげています。誰もが平等に扱われる住みよい社会をおつくりいただけないかとお願いを申し上げます。
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この「声」の端緒となった「杉田水脈議員」の発言内容が、
ネットニュース[WEZZY](2018.7.20)にありました
ので以下に引用します。
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杉田水脈議員の優生思想
「LGBTは『生産性』がないので税金を使って支援する必要はない」
自由民主党の杉田水脈衆議院議員がコラムで「子供を作らないLGBTカップルは『生産性』がないので税金を使って支援する必要はない」といった論旨の主張をし、批判の声が多く出ている。
問題となったのは、杉田水脈議員が「新潮45」(新潮社)2018年8月号に寄稿した「「LGBT」支援の度が過ぎる」というコラム。
コラムの冒頭で、まず杉田水脈議員は、LGBTに関する報道の量を疑問視。朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、産経新聞といった新聞を比較すると、朝日や毎日といったリベラル寄りの新聞の方がLGBTを扱った報道の量が多いことを指摘したうえで、<朝日新聞や毎日新聞といったリベラルなメディアは「LGBT」の権利を認め、彼らを支援する動きを報道することが好きなようですが、違和感を覚えざるをえません>と主張する。
お決まりの「朝日新聞叩き」に「またか」といった感じだが、続けて杉田議員は、<リベラルなメディアは「生きづらさ」を社会制度のせいにして、その解消をうたいますが、そもそも世の中は生きづらく、理不尽なものです>とした。つまり、たとえLGBTの人たちが「生きづらさ」を抱えていたとしても、そこに社会制度の不備などの要因は関係なく、自分自身や周囲の人間のせいだと言うのだ。
そして、杉田議員は<「生きづらさ」を行政が解決してあげることが悪いとは言いません。しかし、行政が動くということは税金を使うということです>と綴る。そもそも、<解決してあげる>という認識自体が疑問だ。社会のなかにある問題点を炙り出し、是正や解決のために奔走するのが行政の最低限の仕事であるはず。それがなぜ「愚民に対して施しをしてやる」とでも言わんばかりの上から目線になるのか。それはともかく、先のような前置きをしたうえで、彼女はこんなグロテスクな言説を投げかけた。
<例えば、子育て支援や子供ができないカップルへの不妊治療に税金を使うのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか>
これに対し、立憲民主党所属でLGBT政策情報センター代表理事なども務める尾辻かな子衆議院議員はツイッターで<LGBTも納税者であることは指摘しておきたい。当たり前のことだが、すべての人は生きていること、その事自体に価値がある>と発言。また、早稲田大学人間科学部教授の森岡正博氏もツイッターで<杉田水脈衆議院議員の、LGBTカップルは「生産性」がないから税金を投入する必要が疑わしいとの発言は、相模原障がい者施設殺傷事件を起こした容疑者の持っていた「優生思想」へと続く道であり、政治家が行なってはならない発言だ>と指摘した。
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さてさて、このような考えを持っている人が国会議員だとは驚きです。これではヒトラーではありませんか。
冷静に考えてください。杉田議員は「LGBT」といわれる人たちについて発言しているのですが、そこには愛がありません。そして、「ひょっとして、自分もLGBTとして生まれていたかもしれない」という想像力が欠けているのです。政治家は一つ一つの問題に対し、常にその中に身を置いて考察しなければなりません。自我意識を超えて、他人との連帯の中でものごとを考えなければ国民のため世の中のためにはならない、ということを悟るべきです。
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「LGBT」は、「Lesbian」(レズビアン、女性同性愛者)、「Gay」(ゲイ、男性同性愛者)、「Bisexual」(バイセクシュアル、両性愛者)、「Transgender」(トランスジェンダー、出生時に診断された性と自認する性の不一致)といった性的少数者を指す言葉です。
ではどうして、本人の感覚と異なる“性的齟齬”が生じるのでしょうか。私は「意識」が関係していると考えます。人間は男性(オス)、あるいは女性(メス)という性差を持ち、かつ「自我」という意識を持ってこの世に生まれてきます。
『前世を記憶する日本の子どもたち』(ソレイユ出版)を書かれた産科医の池川明先生は、多くの子どもたちと接触して来られました。その経験から、輪廻転生や過去世の存在、生まれる前の記憶、生まれ変わり、DNA、魂といったことを考究され、記録されています。
たとえば、本にはこうあります。「…いろいろな赤ちゃんが親を選んでいて、娘は私たちを親に選びました。なぜ選んだのか覚えていないけれど、直感で決めた気がするそうです。家族を決めた後は、『穴に落とされて生まれてきた』と言っていました」(真由美さん)
この世に生まれようとする子どもたち(男、女)は、天上(死後の世界=宇宙に遍満する意識)から生まれる先を選びます。その際、天上の子の性別と、地上の母親のおなかの中にいる赤ちゃんの性別が一致しているとは限りません。確率からすれば性が一致するのは50%ですが、残りの50%は不一致となります。そのため生後の現世に問題が生じるのですが、「不一致であるという意識」は成長過程で徐々に“矯正”されます。しかし、LGBTのような感覚を持続する人たちは「男性性」あるいは「女性性」の意識がもともと強く、持って生まれた肉体の性と意識がいつまでも合一しない、と私は考えるのです。
ですから、残りの50%の中にあって、かつLGBTでない人にも、「女性のような男性」や「男性のような女性」が濃淡混交してこの世に存在することになります。あなた自身にも、あなたの傍にいる人にもそのような傾向を持つ人はごまんといるはずです。
杉田議員は「人間の多様性」を学ぶべきです。そして、他人(ひと)を愛する人となってください。
「野獣のような男性」「男性」「女性性を持った男性」「女性のような男性」「天女のような女性」「女性」「男性性を持った女性」「男性のような女性」――みんな手をつないで生きていけるはずです。
(記 2018.7.31 平成30)