♦雑感 (長崎)市電
長崎には市電が走っています。それに乗りながら、過去に利用していた京都市電を思い出し感無量でした。しかし、走行状態を見ていると、あぶなっかしさも感じたのです。車体の幅は狭く、市民と観光客が同乗する車内は常に満員。停留所で降りた乗客が、そばを走り抜けるクルマに注意しながら歩道へ出るのは四苦八苦。地元の人はなれているのでしょうが、これでよく事故が起きないもの。
観光都市では、チョイ乗りできる市電はじつに便利な交通機関です。なんとかこれを存続させたいのが私の希望ですが、増え続けるクルマとの関係で、京都では廃止の憂き目に遭ってしまいました。といって、廃止後のバス運行にも問題があり、市民の足は悩みが尽きません。さてこの先、どうなることか。
そこで、長崎の場合は市電の軌道はそのままにして、そこに「エスカレーター歩道」を設置できないか、というのが私の夢です。上下線を設けたエスカレーターに高速線と低速線を配置し、所どころにポイントをこしらえて他線に乗り移れるようにするのです。それを市内に張り巡らせば完璧です。
現在の市電やバスのように乗客をパケットとして運ぶのではなく、空港や駅の構内で見かける平面エスカレーターと一緒で、人を川の流れに浮かぶ落ち葉のような状態で運ぶのです。そうすれば混雑は完全に解消され、速やかに多くの人をさばけるはずです。難は、どれだけのカネがかかるか。それは計算していませんが、いつか、この夢は実現するでしょう。
♦雑感 (天草)五足の靴文学遊歩道
天草町には「五足の靴文学遊歩道」があります。明治の若き文人たち5人の足跡です。
天草宝島観光協会の「観光案内」などから。
明治40年(1907年)夏、日本近代文学の基礎となった作品を次々と世に送り出した、与謝野寛(鉄幹)、北原白秋、平野万里、吉井勇、太田正雄(木下杢太郎)の5人の詩人が茂木港(長崎県)から天草の富岡に上陸し大江まで歩いた道を遊歩道として整備したもの。
とくに天草では、大江天主堂の司祭ガルニエ神父を訪ね、その宗教的雰囲気に深い衝撃を受け、白秋は2年後に『邪宗門』を出版した。他の4人も詩、短歌、キリシタン研究へと独自の境地を拓き、この旅を契機に近代文学史上不朽の作品を残した。
古きよき時代――東シナ海の水平線を眺めながら、仲のよい詩人や歌人らが手をとりあって一日32キロを歩いたとか。そのうちの3.2キロが遊歩道として整備されているのです。
長年、短歌をつくってきた私にとって、尊敬と親しみを持つ詩人ばかりです。静寂のなかに、時間がゆるやかに流れていた時代が実感できました。
ひるがえって現代――海岸に沿った道路には、ひっきりなしに観光客のレンタカーが行きかっています。これでは「五足の靴」ではなく「具足のタイヤ」でしょう。まさに「明治は遠くなりにけり」。
遊歩道の起点には、郷土の濵名志松氏の歌碑がひとつありました。
寛・白秋 勇・杢太郎 萬里らが たどりし径ぞ 五足の靴で
(記 2018.4.27 平成30)



