*随想(40) 「年末に思う」 わが家は“三方協力保育”でニコニコ | のむらりんどうのブログ       ~君知るや ふたつの意識~

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2002年9月22日の早朝。目覚めて布団の上に起きあがった瞬間、私は「光の玉(球)」に包まれたのです。以来、「自我」(肉体と時間に限定されたこの世に存在する私)と、「真我」(肉体を超えて永遠に宇宙に実在する私)の、ふたつの意識を持って生きています。

 

 

 時のたつのは早いもの。今年もあれやこれやと問題の多い年でした。

 

 なかでも育児の困難」については、その苦労が新聞に載らない日がないくらい大変な世の中になっています。「保育園落ちた日本死ね!!!」という切羽詰まった声がネットを駆け巡ってからだいぶたちますが、とても他人事とは思えません。

 

その声で問題が完全に解消したかといえばそうではないのです。「少子高齢化で、これから人口減少が始まる。だから産めよ増やせよ」といった政府の檄が、単なる掛け声だけだとしたら、「アホらしくて、子どもなんか産んでられるかい」と若い夫婦が虚無感を抱くのもむべなるかな、と思ってしまいます。そんな思いに至らないように願うばかりです。

 

 世の若いお父さん・お母さん方、その苦労はほんとによく分かります。でも、戦後を生きて来た私たちの年代もみな同じ状態だったはずです。が、これほど痛切な声が上がるのは、今日の「家庭環境」にあることは否めません。核家族化が進むと同時に夫婦共働きの世になったこと、生活水準が上がり昔のように夫の給料だけでは生活ができず、妻が外へ働きに出るようになったからでしょう。

 

 それに加え、見落とされているのが「クルマ社会の障害」という問題です。いまの幼児は家の外で遊べなくなっています。私たちが子どもの頃、クルマというものはまだ走っておらず、「道路は遊び場」でした。子どもたちは歩いて遠くへ出かけます。ですから、われわれの遊びの輪の中に見知らぬ子がまじっていることが時々ありました。「どこから来たの?」と尋ねると、「向こうから」との返事。ひとり家を出て歩いているうちわれわれがいるところにたどり着き、その中に加わって遊んでいたのです。

 

 われわれはその子を排除しません。やがて夕方になり心配していると、その子の母親が一駅離れた向こうから捜しあて、「ありがとう」と言って連れて帰りました。もし、親が来ないときは交番へ連れて行きます。「よし、家を捜そう」と巡査も手馴れたものでした。

 

 いまなら、われわれが遊んでいるところにたどり着くまでに、その子はクルマにはねられて命を落とすかもしれません。しかし、当時はそうではなかったのです。「クルマのない社会は、子どもにとって安全な社会」でした。「子どもがひとり家の外で遊べる社会」だったのです。いまでは到底考えられないことですが。

 

 私には子どもが3人います。それぞれ夫婦共働きでみんな頑張っています。孫は中学生から今年の春に生まれた零歳児までの7人。むかしとくらべ国の援助も進み、子ども手当、授業料の無償化、税金の軽減措置などもあって、ぜいたくは出来ないまでも、それなりの生活が送れるようになったのはありがたい世の中だと思います。

 

 

 

 そんな中、こんなことがありました。

 

 11月22日に開会した熊本市議会で、緒方夕佳議員(42)が生後7カ月の長男を抱いて議場に入ったため開会が遅れるというハプニングがありました。議会側は「神聖な議場に子連れの入場は許されない」と退場を指示したのです。緒方市議は「乳児を連れての本会議出席や、託児所設置を議会事務局に訴えてきたのですが、善処されなかった」ので、“強行手段”に踏み切ったとか。

 

 以前、タレントのアグネス・チャンさんが、職場である放送局に子どもを連れて行った例があります。このケースは、本人というよりテレビ局が売れっ子のアグネスに「子どもを連れて来てもよいから、早く復帰してほしい」という“容認”のお墨付きがあったといいます。ただその行動に、作家の林真理子さんらから批判がおこったのですが、社会学者の上野千鶴子さんらは「働く母親の背中には必ず子どもがいるのです」と擁護したのです。

 

 今回の場合は、やむにやまれず“職場”に連れて来たのでしょうが、なんとか保育機関を利用することは出来なかったのでしょうか。「親も夫もいるのだから、もう少し知恵をしぼるべきだ」というのは第三者の声であって、だれしもそうしたいと願っても「保育園落ちた日本死ね!!!」の女性のように、自身の努力ではどうにもならないケースがあります(実態はこれがほとんど)。これをどのように解決するか。個人の問題でもありますが、社会は連帯して「自身の問題」として寛容な態度をとることが大事ですね。

 

現在、わが家の保育ケースでは、緒方市議と同じ年齢の孫(娘の乳児)を時どき預かります。孫が生まれる前に、私たち夫婦と娘夫婦が話し合って以下のような措置をとりました。

 

①わが家のすぐそばのマンションに、娘夫婦が引っ越す。

②私たち夫婦はすでに年金生活者で仕事はなし。どちらも

 健康なので、じゅうぶん保育の手伝いができる。

③娘の勤め先に保育所があり、勤務日は孫をそこに預ける。

 

「よし、①+②+③で行こう」。孫の誕生前に準備が整いました。保育環境は万全です。落語の“三方一両損”ならぬ“三方協力保育”が実現したのです。

 

おかげで、孫の誕生から今日まで8カ月、それぞれが楽しみながら保育に邁進しています。こんな家庭もあることを知っていただきたい。

 

 

                         (記 2017.12.28 平成29