謙虚で柔和な顔を持つウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領――
ウルグアイはスペインの植民地でしたが、解放闘争のすえ1825年に独立を宣言、1828年に建国されました。ムヒカ元大統領の青春時代は国内経済が疲弊し、不況と社会不安がつづいたのです。そんな中、ムヒカ元大統領は社会主義革命をめざす極左ゲリラ「トゥパマロス」に参加。「世界を変えたい」という思いと「自由と格差のない社会」をめざして革命運動に命を懸けます。ところが、1972年に逮捕され、およそ13年間獄中生活を送ることに……。
そんな生涯を経てきた元大統領でしたが、現在は“世界でもっとも貧しい大統領”と呼ばれ、慕われています。
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ホセ・ムヒカ元大統領(ウルグアイ国)
ブラジル・リオデジャネイロ会議(2012年)でのスピーチ
会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。
ここに招待いただいたブラジル国、そしてディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。私の前にここに立って演説した心よきプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。国を代表する者同士、人類が必要とする国同士の決議を議決しなければならない。その素直な志をここで表現しているのだと思います。
しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。午後からずっと話されていたことは、「持続可能な発展と世界の貧困をなくすこと」でした。けれども、私たちの本音は何なのでしょうか。現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することなのでしょうか。
質問をさせてください。
ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てば、この惑星はどうなるのでしょうか。息をするための酸素がどれくらい残るのでしょうか。
同じ質問を別の言い方でしましょう。
西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を、世界の70億〜80億の人ができると思いますか。そんな原料がこの地球にあるのでしょうか。可能ですか。
それとも別の議論をしなければならないのでしょうか。
なぜ私たちはこのような社会をつくってしまったのですか。
マーケット経済の子供、資本主義の子供たち、つまり私たちが、間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会をつくって来たのです。マーケット経済がマーケット社会をつくり、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。
私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか。グローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか。
このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で、「みんなで世界を良くしていこう」といった共存共栄な議論はできるのでしょうか。どこまでが仲間で、どこからがライバルなのですか。
このようなことを言うのは、このイベントの重要性を批判するためではありません。その逆です。
我々の前に立つ巨大な危機問題は、環境危機ではありません。政治的な危機問題なのです。
現代に至っては、人類がつくったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。
ハイパー消費が世界を壊しているのにもかかわらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。消費が社会のモーターになっている世界では、私たちは消費をひたすら速く、多くしなくてはなりません。消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば“不況のお化け”がみんなの前に現れるのです。
このハイパー消費を続けるためには、商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。ということは、本当なら10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない…。私たちは、そんな社会にいるのです!
長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけない。人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいることにお気づきでしょうか。これは紛れもなく政治問題です。私たち首脳は、この問題を別の解決の道に導かなければなりません。
石器時代に戻れとは言っていません。マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。
昔の賢明な人々、エピクロス、セネカやアイマラ民族までこんなことを言っています。
「貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」
これは、この議論にとって文化的なキーポイントだと思います。
私は国の代表者として、そういう気持ちでこの場に参加しています。私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉が結構あると思います。しかし、みなさんには水源危機と環境危機が問題の源でないことを分かってほしいのです。
根本的な問題は、私たちが実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければならないのは、私たちの生活スタイルだということ。
私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。でも、私の国には、世界でもっとも美味しい1300万頭の牛がいます。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。こんなに小さな国なのに領土の90%が資源にあふれているのです。
私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために闘いました。そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、結局は以前よりも長時間働いています。
なぜか? バイク、車、などのローンを支払わなければならないからです。毎月2倍働き、ローンを払っていったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。
そして、自分自身にこんな質問を投げかけます。これが人類の運命なのか…と。
私の言っていることはとてもシンプルなものですよ。発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。愛を育むこと、人間関係を築くこと、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限の物を持つこと。発展は、これらをもたらすべきなのです。
幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。
環境のために闘うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大切な要素であることを覚えておかなくてはなりません。
ありがとうございました。
(訳:打村明)
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政治の世界で、これほど「人のこころを打つ言葉」があったでしょうか。難しいことばではなく、淡々と語られるその内容は、現在世界における問題の核心をついています。ムヒカ元大統領自身は、「質素」を信条として最低の生活をされ、それでいて何の不満もない、と言われます。物ではなく時間が人間をゆたかにする、と説かれるのです。ムヒカ元大統領は「政治家」であると同時に「聖者」である、と私は思います。若いころからの経験と知性が、このようなことばを紡いでいるのでしょう。こんな立派な「大統領」を持つ国は、国民にとってこれ以上の幸せはありません。
一方、経験・識見・人格的に正反対の大統領が、ムヒカ元大統領のすぐ近くの国家に誕生しようとしています。その人のこれまでの言動は、まるでエゴ(自我)の塊のように見えます。国民は幸せになれるでしょうか、世界の人々が注目しています。
(記 2017.1.10 平成29)
