*随想(18) ひさびさの快晴、公園を散歩中に見た「過去の風景」 | のむらりんどうのブログ       ~君知るや ふたつの意識~

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2002年9月22日の早朝。目覚めて布団の上に起きあがった瞬間、私は「光の玉(球)」に包まれたのです。以来、「自我」(肉体と時間に限定されたこの世に存在する私)と、「真我」(肉体を超えて永遠に宇宙に実在する私)の、ふたつの意識を持って生きています。

 

 

 奥さんは外出…。いまや老爺となったパピヨンの愛犬「パピィ」は、畳の上で気持ちよさそうに昼寝をしています。

 

 うっとうしい日が続いた10月最後の日曜日。あまりにも天気が良いので、ぶらっと近くの公園に出かけました。大きな池の周囲には数えきれないくらいの木々や花壇が並んでおり、訪れる人たちの目を楽しませてくれます。

 

 昼前でしたがあちこちで、若い親子が芝生の上で食事をしたり寝ころんだり…。お年寄りもベンチに座って“日向ぼっこ”。ほんとに静かな場所です。

 

 池の面央では、水鳥が幾重にも波紋を描いています。めずらしい鳥が来るらしく、でかいカメラを構えた写真マニアが池の端にずらり。シャッターチャンスをじっと待つ、その根気強さにただただ脱帽。そばには長い竿を垂れる太公望も。これまた、その根気強さに圧倒されます。私にはどちらも辛気くさすぎて、とても彼らと友人にはなれそうにありません。

 

私もガラケーの携帯で写真を撮りました。

  
 

 池の周囲をめぐっているうち、ふと“ふかい静寂”のなかにいる自分に気づきました。

 

そこで私は、目を閉じて「意識」を過去に泳がせたのです。するとそこには、太古から明治あたりを生きた人たちの「生活空間」が現れては消えていきます。

 

  「意識」の行き先は、こんなところでした。

 

 ➡太古の沖縄県琉球列島の「真っ白な砂浜」

 ➡縄文時代の青森県青森市の「三内丸山遺跡」

 ➡弥生時代の佐賀県神埼郡の「吉野ヶ里遺跡」

 ➡飛鳥時代の奈良県高市郡の「明日香村」

 ➡平安時代の京都府京都市の「京都御所」

 ➡鎌倉時代の富士山を望む静岡県静岡市の「三保の松原」

 ➡安土桃山時代の滋賀県の「琵琶湖周辺」

 ➡江戸時代の神奈川県の「箱根街道」

 ➡幕末の島根県萩市の「松下村塾」と高知県高知市の「桂浜」

 ➡ ……

 

 そしてさらに、安田靫彦の「額田王」や葛飾北斎の「富嶽三十六景」といった絵画の中の風景が、私の意識のなかに浮かんでくるのです。「息を呑む」というのは、まさにこのような光景を見たときに使う言葉なのでしょう。大気は清澄でみずみずしく、静かでさわやか、そして色あざやかな風景がどこまでも続いています……

 

                      (記 2016.10.30 平成28