歌誌「ハハキギ」作品 ―07― (昭和60年後期 1985)
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[7月号]
また一枚上着脱ぎたる通勤の道に黄色き菜の花の揺る
末の子の初誕生に購ひし鯉幟けさふたりして上ぐ
人波に押されて来たる西銀座薄暮のビルの時計は六時
ファイルといふ柔き名前の入れ物に今日の資料を入れて歩める
色恋も損得なども考へずコンピューターに拠るこの日頃
鳥獣を原野に追ひし名残りかも大の男が棒持ち球追ふ
[8月号]
人らみな五月の空の下に来て好き顔見する広き花園
知らぬ間に玉蜀黍の植ゑられてはや末の子の脚の長さか
旬といふ言葉うれしきこの時季を空豆かたく旬を護れる
この朝を蟻の季節と覚えたり水飲む流しに黒きひとすぢ
[9月号]
傘一つ電車に忘れ駅を出づ捜さむとし諦めむとす
疲れゐるわが娘を見るは悲しくて早く去るべし暗き長雨
やうやくに水洗化なるわが町は洛中東南京都市伏見区
外つ国に逐はれ開きしこの国の百年経たる技術の水準
[10月号]
ゆらゆらと水面にくらげ昇り来て何ごともなくまた沈みゆく
渚にて幼き吾子と戯むるるこのひとときを大切にせむ
夢ひとつ与へたるかなこの夏を海辺に遊ぶわが子を見れば
潮風に乗りて聞こゆる蝉の声民宿の午後まどろみの中
朝をゆく道に一本向日葵のゆらりと立てり我が身を超えて
[11月号]
カレーなどいたく欲せり今朝もまた事件に明けて火照りたる身は
飛行機の墜ちて話題の消えしころ妻と娘が犬に咬まる
網と籠を手にする子らよその身にもやがて苦労の多からむこと
サーカスの動物たちは生き甲斐を果たして持つや演技の後に
親鸞の和讃も新古今和歌集も同じ時代の作ゆゑおどろく
[12月号]
休刊日の明けて出かくるわが前につね見ぬ朝の街あかりあり
侍従といふ言葉は今を生きてゐてその死悲しむ記事を受けゐつ
家路へと帰る人らをかき分けて朝刊づくりの仕事に向かふ
親も子もすつかり馴染みになりし秋娘の幼稚園へ久々に行く
月あるを忘るる我の日常に今宵は確と空を見上ぐる
一劫の時の長さは知らねども月に照る雲しじまの中に
盗掘を受けざる墳墓石棺は斑鳩の地にいま開かるる