観光寺院までもが「非課税」とは
親から相続した50坪の土地に10年前、古家を取り壊して新しく建て替えました。それにかかる今年度の固定資産税は22万円。定年後の年金生活にはずしりと重い額です。人に貸しているのではありません。自分や家族が住む家にです。
ところで、京都市内には5千からの宗教法人があるといわれますが、固定資産税は非課税です。町中の檀家寺などは別としても、東山や北山といった素晴らしい景勝地に広大な寺地を所有し、莫大な拝観料収入がある観光寺院までもが非課税とは、税の公平性からいっても納得がいきません。
もし固定資産税を徴収すれば、年間150億円からの税金が市に入り、あっという間に財政は改善されるはずです。それに加えて市民の6人に1人が学生という状況からしても、宗教法人への課税は喫緊の課題です。
さらにいえば、市内で最も“入場者”が多い東山のK寺は、拝観料だけで年間数十億円もの収入があるといいます。それらは伽藍の補修や庭園管理などにかなりの額が費消されるのでしょうが、それにしても目の玉が出そうな数字です。これはもう、寺ではなく一大企業でしょう。
非課税の根拠は、「憲法が信仰の自由を保障し、宗教法人法によって信仰対象物や施設である国宝や重文の維持・管理、それに公益サービスである」といいます。しかし、今日、市民が観光寺院から公益サービスを受けているという意識があるでしょうか。入場者は、ほとんどが物見遊山の市外からの観光客なのです。
私は自身の神秘(覚醒)体験から、古代インドのウパニシャッドによる「梵我一如」を心のよりどころにしています。宇宙は私に溶け込み、私も宇宙に溶け込んでいるという思想で、ミクロの量子力学でも証明され始めた、宗教を超えた未開の科学です。偶像や伽藍などは必要としません。ところが、私の心の中にしまい込まれた「宇宙という施設」は、非課税の対象とはならないのです。
人間は自分以外の人間を敬うものであって、奉るものではありません。既成の宗教法人を特別視することはそろそろやめようではありませんか。
(記 2007.7.19 平成19)