白洲正子さんと明恵上人
過去に、白洲正子さんにお会いしたことは
ありません。しかし、私にとっては「近くに
居てくださる」ふしぎな人なのです。もう、
泉下の人ではあるのですが……
理由は、私の母方の先祖である紀州湯浅城主・湯浅宗重の孫にあたる「明恵上人(みょうえしょうにん)」を追慕し続けた女性(ひと)だったからです。
半世紀も前のこと――。明恵上人生誕の地、紀州(和歌山県)湯浅の地を青年だった私が訪れた時の記憶はいまも鮮明です。上人ゆかりの「施無畏寺(せむいじ)」を訪れたとき、ご住職にお会いしました。「明恵上人を知りたくて京都からやって来ました」と言うと、作業の手を休められ、いろいろと話を聞かせていただいたのです。
そのなかで、「先日は今東光さんがお見えになっていましたよ」とおっしゃったのには驚きました。天台宗大僧正で小説を書き、毒舌和尚と揶揄され、瀬戸内寂聴の”後見人”みたいな、あの人です。その人が”清僧”といわれた明恵上人の里を訪れたことに、今東光という人物を見直したのです。
そして、私がそこを辞去してからどれくらいたった頃でしたか、新聞か雑誌で「白洲正子さんが湯浅を訪れた」という記事を見て、その時はじめて白洲正子さんが明恵上人を慕い、かつ学ばれていることを知ったのです。
うれしかったですね。”自分との縁”を感じたのです。それから後、私は白洲さんの著書を読むようになったのですが、とくに明恵上人についての随筆は、ほんとに近しい人がこの世におられるのだ、と感謝するのでした。
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さて、先日のこと。朝日新聞朝刊1面のコラム
「折々のことば」に、二日にわたって「白洲正子
さんのことば」が取り上げられました。
(引用し、紹介させてもらいます)
= 2023年10月1日付 =
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折々のことば:2867 鷲田清一
神に祈る姿は、世の中で最も
美しいものの一つです。
白洲正子
◇
祈りは、ある慾や願いが元にあったにせよそれさえ
忘れ、自分を遥かに超えるものに身を委ねることだと
随筆家は言う。とはいえこれほど難しいこともない。
だから、自然の情景や絵を見て思わず「ああ、いい」
とため息を洩らし手を合わせたくなる、その気持ちを
大切にすればいい。「安心出来るという、これ以上の
強味は人間としてない筈です」と。
『かそけきもの』から。
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= 2023年10月2日付 =
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折々のことば:2868 鷲田清一
病が偶然もたらした意識不明の
状態は、舞台に在る時の心理と寸分
違わぬもの
白洲正子
◇
随筆家は若い頃三度死にかけた。意識はないのに
聴覚は鋭敏で、遠くの部屋の会話まで聞こえた。体
が透明になり宙に浮く感じがしたという。舞台でも
同じことが起こる。面や装束で自由を奪われている
のに体は透け、「ふだんの稽古だけがものをいう」
極度の集中状態に入る。そのために能は何百年もか
けて「ひねくれた工夫を凝らして」きたのかと。
『かそけきもの』から。
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神秘体験、臨死体験を経てきた私には、この気持ちや現象がよくわかります。「現実世界」だけが人間の意識の範疇ではない、ということを“身をもって理解する”ことの出来る(出来た)ことに感謝するのです。
また、その体験が、白洲正子さんの文章にもよく表れています。そしてまた、明恵上人との“邂逅”がそのような文章、随筆をうみだす因でもあったはず。
ありがたいことです。
(記 2023.10.15 令和5)