タカへの個人的な日記...アメブロ版。

タカへの個人的な日記...アメブロ版。

個人的な日常の出来事をつづっています。暇つぶしに読んでもらえれば。

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まさか、ほんとうに来るとは思わなかった。

テレビの向こう側にいる人、
年末の特番や再放送の時代劇で見かける存在
――それが「マツケン」だ。そんなマツケンが、
わが町に来るという。しかもコンサートで、である。

正直に言えば、わが町は大阪にあるとはいえ、
存在感はかなり薄い。梅田でも難波でもない。
電車を乗り換えた先、そこで降りる人が少し減る、
あのあたりだ。有名人のコンサートが行われることなど、
ほとんどない。市民祭りのステージには、
吉本の「誰?」というようなタレントさんが来て、
「見たことある気がするけど名前は出てこないなあ」
と言いながら拍手する、そんな土地である。

だからこそ、「マツケンが来るらしいで」という話を聞いたときも、
最初は半信半疑だった。本物か? 同姓同名の別人じゃないのか?
 マツケン太郎とかじゃないのか? しかしポスターには、
あの顔がどーんと載っている。金色の背景、
決め顔、堂々たる存在感。どうやら本物らしい。

すると家の中の空気が、一気に変わった。

妻と娘が、やたらと浮き足立ち出したのだ。

「え、マツケン来るん?」
「マツケンサンバやるんかな?」
「絶対やるやろ!」

いやいや、君たち、そんなファンやったか? 
私は心の中で何度もツッコミを入れた。CD持ってたっけ?
 DVDあったっけ? ないやろ。どちらかというと、
テレビで流れてきたら「懐かしいなあ」と言う側やろ。

それなのに、チケット発売日になると、
二人は妙に機敏だった。スマホを握り、時間を気にし、
無事にチケットが取れたときにはハイタッチまでしている。
あれや。これは完全に「イベントが少ない町に来たビッグネーム効果」や。
マツケンというより、「マツケンがうちの町に来る」という事実に
テンションが爆上がりしているのだ。

コンサート当日、二人は朝からそわそわしていた。
服もなんだか派手めだ。娘はなぜか金色っぽいカチューシャをつけ、
妻は鏡の前で「これでええかな」と何度も確認している。
私はというと、「行ってらっしゃい」と言って留守番係だ。
誘われもしなかったし、正直なところ、
マツケンを生で見たいという気持ちもそこまでなかった。

数時間後、玄関のドアが勢いよく開いた。

「よかった~~~~!!」

第一声がそれだった。そのまま荷物を置くより先に、
二人はリビングで動き出す。

♪オレ!

……始まった。

マツケンサンバである。振りもそれなりに覚えている。
聞いてないはずなのに、体に染みついてるのが怖い。
楽しさがそのまま家に持ち帰られた感じだ。

「めっちゃよかったで」
「生マツケン、オーラすごかった」
「思ってたより声出てた!」

感想が止まらない。私はソファに座り
、「はいはい」と相槌を打ちながら聞いていたが、
その満足そうな顔を見ていると、悪い気はしなかった。

そして、コンサートといえば、つきもののあれが出てくる。

グッズである。

袋から取り出されたのは、マツケンの人形、
キーホルダー、タオル、
そして最後に出てきたのが
――マツケンの顔がどーんとプリントされたTシャツだった。

「はい、これ」

なぜか当然のように私に差し出される。

「え?」

「あんたにあげるわ。記念やし」

記念て。誰の記念や。

手に取ってみると、そこには満面の笑みのマツケンがいる。
正面から。逃げ場なく。見る角度を変えても、必ず目が合う。
これは部屋着か? いや、部屋着にするにも存在感が強すぎる。

「……これ着て外は無理やわ」

思わず本音が出た。

妻は「なんで? ええやん」と言うが、
分かってほしい。このTシャツを着て外を歩くというのは、
相当な覚悟がいる。近所のスーパー、駅前の商店街、
知り合いに会う可能性。すべてがハードルになる。
向こうが私を見る前に、マツケンを見る。説明が面倒だ。

結局そのTシャツは、タンスの奥にそっとしまわれた。
出番は来るのか分からない。もしかしたら、
数年後の掃除のときに「こんなんあったなあ」と
笑いながら処分されるのかもしれない。

でも、不思議なことに、あの日からマツケンサンバを
テレビで見ると、少しだけ親近感がわく。

「ああ、あのとき町に来たな」

家族が楽しそうに踊っていた夜を思い出す。

マツケンが来た日。

それはうちの町にとって、そしてうちの家にとって、
ちょっとしたお祭りだったのだ。

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最近、小説を書いている。

夫婦の話だ。

自分たち夫婦を、そのまま書こうと思ったわけではない。
ただ、長く一緒に暮らしていると、
夫婦というのは少しずつ不思議な関係になっていく。

「ご飯、できたよ」

「うん」

「明日、何時?」

「いつもと同じ」

 それで一日が終わる。

 喧嘩をしているわけではない。嫌いになったわけでもない。
 ただ、昔ほど相手のことを知ろうとはしなくなった。

 そんな夫婦を主人公にして、小説を書き始めた。

 ところが、書いているうちに、物語が勝手に動き始めた。

 妻には秘密がある。

 何年も前から、別の男と会っていた。

 夫には言えない理由があった。

 そして私は、さらに話を膨らませた。

 子供は、自分の子ではなかった。

 妻はその事実を知っていた。

 夫だけが知らなかった。

 ――そんな話になった。

 もちろん、現実には何もない。

 妻が浮気している証拠なんてない。子供だって、自分の子だ。

 頭では分かっている。

 それなのに、書いていると、だんだん分からなくなってくる。

 妻がスマートフォンを伏せて置いたこと。

 帰宅がいつもより少し遅かったこと。

 昔もらった小さなプレゼント。

 現実なら何の意味もないものが、小説の中では全部「証拠」になっていく。

「もしかしたら、本当に……」

 そこまで考えて、自分でぞっとした。

 何もしていない妻を、私は自分の頭の中で勝手に裏切らせている。

 小説だから許される。

 そう思いながら、どこかで本当の妻まで疑っている自分がいる。

 そしてある夜、物語の中の夫が、妻から真実を告げられる場面を書いていた。

 妻は泣いていた。

 夫も泣いていた。

 夫は子供の顔を思い浮かべながら、

「今まで家族だと思っていたものは、何だったんだろう」

 と考える。

 そこまで書いたところで、私は泣いてしまった。

 自分でも驚いた。

 だって、全部作り話なのだ。

 現実の妻は何もしていない。

 子供も、自分の子だ。

 なのに私は、架空の妻を裏切らせ、
 架空の子供から血のつながりまで奪って、架空の夫を泣かせた。

 そして、その夫に自分自身を重ねていた。

 なぜ泣いたのか、すぐには分からなかった。

 しばらくして、ひとつだけ思った。

 私は、失いたくなかったのだ。

 妻を。

 家族を。

 今まで当たり前すぎて、ちゃんと見ようともしなかったものを。

 長く一緒にいると、何も起こらない毎日を「何もない」と思ってしまう。

 でも、何も起こらないことは、何もないことではない。

 妻が今日も家にいる。

 いつもの場所にいる。

 いつものように、どうでもいい話をしている。

 それが続いている。

 それだけのことが、失って初めて大きさに気づくものなのかもしれない。

 小説の中では、夫婦は壊れてしまった。

 私はそこで泣いた。

 でも、パソコンを閉じた現実の部屋には、妻がいる。

 何も知らずに、いつものように暮らしている。

 私は少しだけ申し訳なくなった。

 勝手に浮気をさせて、ごめん。

 勝手に家族を壊して、ごめん。

 そんなことを心の中で言ってから、パソコンを閉じた。

 しばらくすると、台所から妻の声がした。

「ご飯、冷めるよ」

「うん」

 いつもの返事をした。

 それから私は、少しだけ笑った。

 何も変わっていない。

 たぶん、それでいい。

 小説を書かなければ、気づかなかったかもしれない。

 

 

和歌山のへ車を走らせて、
みなべの「カフェ ド マンマ」へ行ってきた。

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店に近づくにつれて視界がひらけて、
海がゆっくりと光って見える。
あの感じだけで、もう半分くらい満足してしまう。

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店に入ると、窓の向こうに
広がる180°のオーシャンビュー。

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「隠れ家」という言葉がぴったりで、
観光地の喧騒とは少し離れた、静かな時間が流れていた。

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パスタを食べながら海を眺めていると、
なんでもない休日が少しだけ特別になる。

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家族で来ても、一人でふらっと来ても、
どちらでも心がほどける場所だと思う。

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帰り際、もう一度だけ海を見た。
波の音は聞こえないのに、
なぜか心の中でちゃんと響いている気がした。
また来よう。そう思わせてくれる店だった。

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俺が30年くらい若ければ
デートできたいけどね。(^^♪

なつkkkliu