私の父は平成4年7月24日に亡くなりました。
64才でした。で、書いてみました。
「先輩、おでんのたまごって好きですか?」
朝一番のデスク。まだ起動しきっていない私の脳内に、
書類の文字よりも先にその質問が投げ込まれた。
私は一瞬、フリーズした。たまごが私に何かしただろうか。
あるいは、私の顔がたまごに似ているとでも言いたいのだろうか。
なぜ、今、このタイミングなんだ。
頭の中に浮かんだいくつもの疑問符を振り払い、
私はとりあえず「逆質問」という安全な防壁を築くことにした。
「……君は、そんなにたまごが好きなの?」
すると後輩は、拍子抜けするほど正直に、
どこか他人事のようにこう言った。
「いや、めちゃめちゃ好きってほどじゃないんですけどね」
じゃあ、なぜ聞いた。
おそらく彼の中のコミュニケーション・アプリが、
冬の冷え込みを検知して
「季節の小話(冬・コンビニ編)」を自動再生しただけなのだろう。
彼はただ、静まり返ったオフィスに漂う「何か」を埋めたかっただけなのだ。
「じゃあ、本当は何が好きなの?」 私がさらに畳みかけると、
彼は急にエンジンの回転数を上げた。
「じゃがいも、牛すじ、大根。この三連コンボですね!」
見事なラインナップだ。……しかし、私はそのどれもが、
それほど好きではない。
だがここで「いや、それ全部苦手やねん」と一刀両断してしまえば、
会話の火種は一瞬で消え去り、後輩が勇気を出して
投下した小さな努力も虚空へ消えてしまう。
だから私は、大人としての「外交的な味覚」を即座に採用し、
こう返しておいた。
「私はねりもんしか食べへんねん」
もちろん、今の私なら大根の染み渡るような滋味も、牛すじの脂の甘みも、
十分に理解できる。 分かるのだが――どうしても、
あの頃の記憶がブレーキをかけるのだ。
幼い頃、私はおでんの大根が大嫌いだった。 あの独特の匂いと、
箸を入れるとじゅわっと溢れる出汁の感覚が、どうしても受け入れられなかった。
そのせいで、わが家の食卓からおでんは次第にフェードアウトしていった。
まるで、視聴率の振るわない深夜番組がひっそりと打ち切られるように。
父は無類の酒飲みで、おでんはきっと彼の
「つまみオールスターズ」における不動の四番打者、
あるいは絶対的な守護神だったはずだ。 私が「おでん、嫌や!」と宣言するたびに、
父は目に見えてしょんぼりと肩を落としていた。 そして時折、誰に向けるでもなく、
天井の隅の方を見つめながら呟くのだ。 「たまには、おでん食いたいなぁ……」
今にして思えば、あれは父が発していた切実な「おでん恋しさSOS」だった。
しかし当時の私は、自分の好みがすべて法律として採用される
**「絶対王政のプリンス」**である。
父の小さな反乱は、あえなく鎮圧されるのが常だった。 母もまた、
息子の嗜好を最優先するタイプで、父の孤独なリクエストに対しては
「まあ、そのうち慣れるわよ」という、
まるで遠くの街の天気予報を聞くような薄い反応しか示さなかった。
今なら、大根の旨さも、あの時の父の寂しさも、
当時よりずっと鮮明な輪郭を伴って理解できる。
スーパーの野菜売り場で、泥のついた立派な大根を見かけるたび、
私の脳内ではあの低く、どこか哀愁の漂う呟きがリマインドされる。
「たまにはおでん食いたいなぁ……」
よし、父よ。 おれ、大根くえるようになったから。
あの頃みたいに「嫌や!」なんて言わへん。
今なら、ちゃんと味わえる。
いずれ私があちら側へ行ったときは、温かい湯気の立つおでんの鍋を囲もう。
そこで、あなたの孫の話をたくさん聞かせてあげるつもりだ。
あの子がどんなふうに成長して、どんなふうに生意気で、そしてどんなふうに、
かつての私と同じように家族を振り回しているか。そんな話を最高の酒の肴にして、
ゆっくりと夜を過ごそう。
だから、その時までにおでんの準備はしておいてほしい。
でも、たぶん忘れてると思うから言っておくよ。
おでんの鍋には、私の大好きな「ねりもん」を、
これでもかっていうくらい大量に入れておいてな。
それさえあれば、あとの具は何だって構わない。
父さんの好きだった大根だって、喜んで一緒に食べてやるからさ。









