2015年の離婚から、もう8年以上
母子家庭のきむです。四人の子供がいます。
次男、次女がそれぞれ高校と中学に進学するので、その入学準備に追われてる今日この頃。
今夜は次女の体操服の名前付け(糸で縫うやつ)をやった。
長男の頃から数えると……一体!
何回!?
こういう名前付け(ゼッケン付け)作業を行って来ただろう…
おかげで、
わたし的には「裁縫は苦手分野だーーー!!」と思ってたのに
子供四人を育てていく過程で否が応でもやってきたゼッケン付けのお陰で
以前、付き合いで参加した手作り“裁縫”系のワークショップでは、誰よりも早く仕上げた。
ほんと、毎回言うけど
嫌や苦手なことでも、
経験するって大事よなーーーって心底思う
さて、
わたしの記憶の中では
ゼッケン付けやら、アイロンがけなどは子供の頃のわたしは全部自分でやってた気がする……
うちの家は自営だったから母は忙しくて
学校行事にもあまり参加してもらって無かったし、子供の事に積極的に関わってもらったなーーーって記憶はあまり無い。
だからこそ
わたしは今
子供達には、出来る限りの事はやりたいと思ってしまうのかも。全力で向き合いたいと意気込んでしまうのかも…
将来、子供達に
「あまり構ってもらえなかった」と寂しい思いをさせないように。
なんかやっぱこれって
わたしは母親の愛に飢えてたんだなぁ……と認めざるを得ない
もちろん母はその当時
母なりに一生懸命だったんだと思う
母なりの精一杯でわたしや妹を育ててくれたんだと思う
それは、わたし自身が母親となったことで、母の大変さも理解できる
けど正直、
わたしが母から貰いたかった愛情の方法では無かったんよね〜。
思春期の頃なんて、
「わたしの存在は誰にも必要とはされてないから、いつ死んでも問題ないよね」とか本気で思ってた
そんな風に育った青春時代のなか、
高校三年生の頃に一年アメリカに留学することになり
そこで出逢ったホストマザーにめちゃくちゃ愛されて親の愛というものに触れた。
めちゃくちゃ愛の深ーーーーい女性だったの。
わたしが日本に帰国してからも、わたしがその家族(ホストファミリー)のその先の日常をいつも共有できるようにって、
アメリカから毎日手紙を送ってくれてたの(今日こんなことがありました的なやつ)
これ、凄いよね……
毎日、手紙書いて、
切手貼って、投函して…を
一年以上つづけてくれたの。
ほんの数ヶ月だけ一緒にいた関係性なのに…(実は一度ホストチェンジして、その後からの出逢いだからホストマザーとは10ヶ月くらい?の付き合い)にも関わらず
わたしを一人の人間として心から愛してくれたんだよね〜
アメリカの母への感謝は30年以上経った今も全く変わらない。
そのホストマザーに、帰国する時にした約束が「また必ずここに帰って来るからね」だったんだけど
わたしが20歳の時にちゃんとその約束を果たせたんだよね。
大学生の頃に1ヶ月くらいだったかなぁ???またその家に遊びに行ったの。
そしたらね、
アメリカの母はとても喜んで迎えてくれてめっちゃハグしてくれて
「前にあなたを見送った時はもう一生会えないかもって思って泣いたけど、こうやって戻って来てくれたから…ああ、一生のお別れでは無かったんだってわかったから、もう寂しくない」って
言ってくれたんよねー
で、その後はなかなかアメリカに行くことも無く
結婚し出産し忙しい日々を過ごしていて
その間も彼女との手紙や電話でのやりとりはあったけど昔ほどは頻繁じゃなくなってて
で、長女を身ごもっている時にふと彼女から電話があって
他愛も無い話しをしたんだけど……
わたしが妊娠中ってことですごーーーく喜んでくれてて
で、その数週間後かなぁ……
彼女の弟から電話があり
彼女が癌で亡くっなったと。(50歳代だったと思う)
彼女がわたしにくれたあの電話は、自分の死期を知っての電話だったんだって…あとになってわかったんよねーー
3度目の再会は果たせないままだった……
アメリカの母には無償の愛をもらい、そして
「日本のご両親もとてもとてもあなたを愛しているじゃない!」と教えてもらい、色んな愛を教えてもらったなーー
「あなたの人生での救世主は?」って聞かれたら
間違いなく彼女だと断言できる、そんな人に出逢えた事がたまらなく嬉しい。