2015年に四人の子供を引き取り離婚。シングルマザーのきむです。
思うんだけどさ。今の時代って…
“自分の信念を持って子育てをやっていく”という事がとっても大切な時代に突入してると思う。
わたしは離婚を経験するまでは、何だかんだで他人軸に振り回される子育てだった。
まず、
(元)旦那さんの“子育て価値観”を尊重しないといけないから、わたしの意見はだいぶ後回し。
学校側は相変わらずステレオタイプな教育方針で接してくるのでそこにも何とか順応しなきゃと、ひとり空回り。
そこに来て、新時代を生きる子供たちは独自の価値観をそれぞれが持っているので…
そんな新・基準を持つ子供達に対し、
「これはこうしとけば絶対に間違い無いから!」なんて……わたしにはとても言えない…
そこなんよね〜。
わたしたち親世代の古い価値観と今の子供たちの価値観ってかなり違うと思う。
そこに気づけたとしても、その置かれた環境でついついわたしの中には“無い”価値観に流されがちになり、子供たちの声を聞き落としそうになるから要注意。
そもそも団塊の世代と言われる親を持つわたしたち昭和40年後半組は、両親や学校や世間や国やメディアから
「こうあるべき!」
「子供はこう育ってこそ明るい未来が待っている!」(学歴社会のような、ね。)
みたいな“右にならえ!”的な思想を散々植え付けられ…
周りと協調できる人間が良し。
出る杭は打たれる。
好き嫌いは関係なく、嫌いなものでも努力でき忍耐強い人間こそが勝ち残れる。
みたいな感じで育てられたので……
今の新たな価値観を持って生まれた新時代の子供たちを育てていく事に大きな戸惑いを覚えたことは数えきれないほどある。
今の子供たちってさ、
“親がこういってんだから…”
“大人がこういってんだから…”
“先生がこういってんだから…”
“だから、こうしとけば立派な大人になれるよ。”
“周りに好かれるよ。認められる人間になれるよ。”
みたいなのに、全くなびかんよね。
ちゃんと、その“根拠”みたいなのを求めてくるよね。
「学校は行くべきでしょ。」
「なんで?行かんかったらどうなるん?」
「学生生活を規則正しく過ごせる生徒こそ、将来社会人になっても遅刻せず、欠勤もせずに立派に働けて人に認められる社会人となるんだ。」
「そんな事はハナからわかってる。大人になってから自由に出来ないからこそ今学生だからこそ、今のうちに色々と自由にやってもいいじゃん。」
(↑これはうちの子が実際に先生との会話でこう思ったと、わたしに話してくれた体験談)
こんな感じで大人の、
「とにかく言う事聞いてたらいいから!」という圧力には決して「ああ、そうか」とは言わない新世代。
「その根拠は?」と、
口にしないまでも心には常にそれがある。今の子供たち。
わたしは大人達や当時の日本から
「大人やテレビの言うことを聞いておけば間違いない!」と植え付けられてきたので今の子供たちほど、
「それをしたら、じゃあどうなん?」
「これをしなかったら、どうなるん?」
というような疑問をあまり持たずに来たのだけど……
まぁ、、そういうもんだろうな……ってボンヤリした感じであまり追求したことも無かったけど、
今の子供たちには
ちゃんとした理由づけが必要なのだ。
子供が納得する根拠が必要なのだ。
暴力や罵声でしつけられた昭和時代とは大きく異なる。当時は怖いから怒られないように言う事きいといたらいいか……
そんな感じだった。
でも、今の子供たちはちゃんと心と言葉で真正面から向かって伝えないといけない。
個人として接しないといけない。
それに気づけた時に、
わたしの考えがどこまでちゃんとしたものなのか……それをすごく考えさせられた。
今も子育ては続いているから、もちろん進行形なんだけど。
だから、むやみに頭ごなしに子供を叱れなくなった。
自分の中の「これが子育てにおいての正義」みたいのが覆されて来てるというか……ただのエゴだったんだなぁ…と思うし。
おぎゃーと生まれた時から、人間は“一個人”なんだよね。ってことを最近痛烈に感じる。
それは、子供たちのことだけじゃなく勿論わたしもそうであり。
だから、わたしという個人と、
子供たちそれぞれ個人と、向き合おうよって話しなんだなぁ。と最近思ったりするんです。