原子力発電は安価かつCO2の少ない最先端の発電とうたわれてきたと思う。
が、色々なサイトを調べるうち、この未完の技術が一部の人間たちの為の
利権のためだけにどれだけ利用されてきたのか、ということがわかってきた。
電力会社の言うような、原子力はクリーンなエネルギーなのではない。
ただの「コントロールできない危険なエネルギー」なのだ。
研究所の中で研究されているだけの技術ならまだいい。
しかし既に実用化されて稼動している技術なのだ。
こんな危険なエネルギーを今の拙い技術力で使っている社会に、
危険を感じない人間がいるのだろうか?
それもその理由が一部の人間の利益の為、と気づいて、
憤らない人間はいるのだろうか?
原子力発電を止めたから電力が足りない。と電力会社は言う。
それは正解でもあり、間違いでもある。
原子力発電をした為に必要無くなった発電所をあえて止めているから、
今の瞬間に足りないだけなのだ。
つまり、休ませている発電所を動かせばそれで今の社会は成り立つ。
ただそれだけの問題なのだ。
もちろん、CO2の排出量は一時的に上がるだろう。
効率を考えれば火力を使うことになるのだから。
世界に向けてCO2排出量減を声高らかに宣言した。
しかし、人類が持っている技術力は本来、残念ながらまだそれを実現
できる段階には達していないのだ。
原子力という幻を見て、自分の今の本当の実力を見失っているだけなのだ。
原爆のように爆発させるだけなら人間はできるようになった。残念ながら。
しかし、その力を100%コントロールする術を、人間はいまだ持ち合わせていない。
本来の原子力発電とは、原子力を完全にコントロールして初めて
使えるようになる発電方法なのだ。
この事は今回の事故でお気づきになった方々も多いと思う。
原子力発電とはまだこの程度しかコントロールできていない危険な技術だったのか、と。
今の人類に必要な電力は原子力でなければカバーできない、というのであれば、
これからも原子力に頼っていくしかない。急に生活と社会の仕組みは変えられないからだ。
だが、幸運にも人間は、火力を始め、原子力よりも安全な方法を使って、
今の社会に必要な電力を生み出す術を知っている。
今までと同じ電気の使い方をしたとしても、原子力を使わずに生活できるのだ。
(もちろん、新しい技術が進歩するまではCO2節減のために節電をする必要はあるが)
そしてCO2の問題も、地熱、太陽光、太陽熱、水力、波力、風力。
現状は効率の若干の問題こそあれ、CO2を排出しない・減らせる別の発電方法は
いくらでもある。
万一の時には大きな暴走を起こし、人々の命や将来を奪い、間接的直接的に
不安を与え続ける原子力という力をコントロールする技術を開発するより、
それらの発電方法の効率を少しでも上げることに、技術者は注力して欲しいと思う。
技術革新によってそれらの効率が上がればその都度、CO2の排出の多い火力発電を
順次置き換えていけばいいだけなのだ。
確かに、火力発電は若干前時代の発電方法であるとは思う。
しかし、それを超えられると思われていた(宣伝されていた)原子力発電という技術は
大変な危険を、大きなリスクを伴う技術なのだ。
自分で100%コントロールできないものを使うことほど危険なことはない。
特に原子力は、コントロールできなくなると多数の人間の命に直結する暴走を始める
危険な力なのだ。
また原発は今回の事故のような怖さもあり、物理的な建物も燃料も廃棄物すらも、
テロの標的となりえる、非常に危険な存在なのである。
今回の福島原発の事故において、事故現場の状況が何らかの形で幸運にも
収束に向かったとしよう。
しかし、ただの火災とは決定的に違うことがある。
火災や倒壊は一時的な事象ともいえるが、原子力には延々と続く問題がある。
それが汚染だ。
既に放射能汚染は水や野菜等の食物に広がり始めている。
海洋汚染はまだ未調査ではあるが、必ず影響が出ていることだろう。
魚類への汚染もこれから必ずニュースになってくるはずだ。
これから長い間、我々はずっと、
「この水は、食物は、汚染されているのではないか?」と
水や食物を見るたびに思わなければいけない世界がやってきてしまったのだ。
それも、建物の火災等とは違い、いつまで続くか判らない不安なのだ。
もしかすると自分が生きている間は一生背負い続けなければいけない不安なのだ。
これが原子力発電が招いた現実である。幸せな社会だと誰が思うだろうか。
一部の人間の利権の為に、自分達がそれだけの不安を背負わされる理不尽に、
全人類が気が付く時がそろそろ来たのかもしれない。
本当に原子力でいいのか?
本当に原子力しかないのか?
なぜ原子力を使っているのだ?
そのことを全人類が考え、何かに気づいた時、世界は今よりずっと便利に、安全になる。
過去に、日本は原爆によって世界に色々なことを知らせるきっかけになった。
そしてまた今回、日本は原発事故によって世界に色々なことを知らせるきっかけを作ったと思う。
皮肉にも、原子力という力の危うさを、人間の未熟さを、二度も世界に知らしめることになった。
今回の事故が、世界的に、地球的に、原子力を見直し、別エネルギーへの転換をはかる、
きっかけになって欲しいと切に願う。
が、我々にはそれを悠長に待つ時間はない。むしろ、一刻を争う状況だ。
日本にはこの狭い国土の本当にたくさんの原子力発電所がある。
その全てに、今回と同じ危険が潜んでいるのだ。
天災が起きた時、必ず「想定外だったので」という決まり文句で責任を回避しようとする。
しかし、想定外があってはいけない技術が、原子力なのだ。
地震は明日来るかもしれない。
今回の地震を超える規模の地震かもしれない。
今回の規模を越える津波が押し寄せるかもしれない。
これ以上大きな地震はこない、と勝手に決め付け、自分の都合のいいように解釈して全国に原子力発電所を作り続けてきた「ツケ」が、今来ている。
明日地震は絶対来ない。
そう言い切れるだろうか?
明日地震が来た時、自分に被害を与える距離にある原発は絶対耐えられる。
そんな自信は持てるだろうか?
明日地震が来ても、絶対に今回のような事故は起きない。
そんな希望的観測で悠長に構えていられるだろうか?
そんな希望的観測を積み重ねていった結果が、そしてそれをいいように民衆に発表し甘い汁を吸ってきた輩の金のなる木が、今の原子力発電の現実なのだ。
人類が想像もできなかったような想定外の地震は、明日来るかもしれない。
しかし、今も、その時にも、原発はそこにあり、動いているのだ。
興味のあられる方は、「原子力 利権」や「発電 効率」等で御検索頂きたい。
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こんな記事を見つけた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110320-00000004-maip-soci
世界中の人々が、この事故、この恐怖を流行のように流し忘れないことを祈る。
もう一つ、今回の事故で忘れてはいけないこと。
これだけの地震、爆発を含むこれだけの事故にも関わらず収束に向かっているのは、被曝しながらも被害の拡大を食い止めてくれた方々の努力ももちろんだが、
幸運がたまたま重なっただけ。本当にたまたま運がよかっただけなのだ。
このような幸運はそう起こるものではない。
と。