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月に吠えてるわけじゃない

「未来」「かばん」に所属しており、拙作も載せることがあるが悪しからず、、、

 雨に奪われた太陽をずっと寝ながら探してた。
 月は女神で僕の中の「いない即ある」女性でマリア様に恋をしているようなものだけれど
 太陽も月も阿修羅が持っていった。

 阿修羅像は返還します。

 よりよい短歌を目指して邁進していこうと思います。

 あと、世間知らずで自分自身に困っている。
 生真面目な馬鹿だから悩んでいる。
 謎だらけの人生のように思う。
 後、形式はやっぱり必要だと強く思った。
 来週の主日は地域教会にちゃんと行こう、と思った。

 幼さを持ったまま賢くなれるかな?
 真心を探ってみよう。
 原罪はあるけれども性善説な自分が分からない。
 まとめられないから断片的に箇条書き的にブログを再開。


 今月の未来の通信を読んでいて

 歌観って違うものだなと思ってしまった。

 あくまで私の話だけれども

 毎月、十首と八首を提出する習慣だったから

 そんなに完成度を求めていなかった。

 『ピクチャの表現』という私の作歌方法があり、

 頭の中の映像を短歌にするというのがあるから

 ブログの読者であれば分かってもらえると思う。

 その映像を連作にすれば一連が物語性を帯びすぎる

 という反省を感じている。

 最近、短歌はあくまでも一首の独立が重要だなぁと感じている。

 一連でのメロディーではなく一首でのメロディーを

 追及しなければならないと反省している。

 人はとやかくいうけれど毎月十八首

 一年を通して新人賞作品をいっぱい作る習慣は

 いうほど簡単ではないのは分かっていると思う。

 その間で何か新しいものをつくるという気晴らしも

 同時に必要になると思う。

 (姿をつくるということは先人たちがしていた)

 完成品を毎月送るという気概の強さを私は持っていない。

 次の次の何かを求めてただ突き進んでいるに過ぎない。

 そこが私のいけないところだと思う。

 

 今月の角川短歌の「新・作歌問答」の中に

 書きあぐねるということに言及していたと思う。

 私ももれずにそれを経験している。

 その時に出会ったのが「会話体短歌」というものだった。

 この枠組みを得た時にまるでそれは

 水を得た魚のようにこれならやれると思った。

 これなら著名歌人と対抗できると思ってしまった。

 短歌世界を「物から人へ」というスローガンのように

 改革しようと思ってしまった。

 (かばんの新人賞へのアプローチをお読み下さい)

 だから、今年は虚勢の年と決めてしまった。

 後悔しているが、現状は初めの思いとは百八十度違う。

 それでも短歌がしたいのは変わらない。

 短歌読者は純粋読者が少ないという

 作る者ならば作る苦しみを知っていると思う。

 悩みながら会話体短歌を短歌アイデンティティと

 決めたあの時の感覚を分かってもらえると思う。

 

 反省すべきは、もう虚勢は張っていないことを理解してもらうこと。

 私は望んでいなかった姿でも短歌をしていこうと、いや、しなければならないことを受け入れること。

 より完成度の高い一首・連作を追求すること。

 真面目に誠実に強くなのに柔らかくそして表現をするのだと迷わないこと。

 

 人生は迷いの世界だとはいうけれど二十代中盤でもそう思う。

 だからこそ、楽しい思い出をつくる人生を送りたい。

 

 (参考) 

『ピクチャの表現』

 

https://ameblo.jp/nomoonnolight/entry-12247495428.html

 

『新人賞へのアプローチ』

https://ameblo.jp/nomoonnolight/entry-12264477450.html