昨日、お風呂に入っていて「勉強に集中できない理由と向き合おう」と思い立ちました。

どうにか大学まで見た目は順当に進学しましたが、それも常にギリギリで、大学卒業に至っては単位が2つ足りず1教科だけ追試を受けて卒業したりしました。

 

今も資格の勉強をしており、やり始めれば面白いと思うのですが、それまでがとても強い抵抗を感じ、無理矢理席に着く。でも大半は負けて寝てしまったり、ゲームをしてしまったり……

子どもの頃は勉強、というか新しい知識が増えることが大好きだったはずなのにどうして?と思っていました(幼稚園の卒園文集の小学校に行ったらやりたいことの欄に「漢字をいっぱい学びたい」と書いたほど本も好きでした)

 

今までそこから逃げていたのですが、それがふと辛くても向き合って受け入れてみよう、と思ったんです。

気持ちに集中してみると「もうやだやだ勉強したくないしたくない」ばっかりが溢れてきました。

それで「どうして?」と訊いてもやだやだばっかり。「大丈夫だよ」と伝えると「大丈夫じゃない!」が大きくなるのは今までの経験で知っていたので、じっと待つことにしました。

そして「やだやだ」ばかりの中からかすかに聞こえたのは「やっかまれるから」でした。

 

ああ、そっか。と腑に落ちました。

 

小学校低学年の頃、成績は良かったです。勉強も面白かったです。

みんなからも「すごいねー」と言われていました。

でもわたしはそれを嫌だな、と感じたんです。「ただ好きでやってるだけで、どうしてすごいなんて言われるの?」と。あまりにも頻繁に言われたのと、「すごい」の裏に「人と違う」を感じ取っていました。

幼稚園の頃、絵かお喋りか、ちょっと変わったことをすると「変わってるねー」とか「変だよ」とか言われました。特に一緒にいた子から言われたことが強く残りました(ここについてはまた別の記事にします)

 

それがベースにあり、良くも悪くも人並から外れることは恐怖でした。

でも勉強は好きだったので、好きなものを否定されたことにもなり、人間関係の築き方はもっとちぐはぐになり、余計勉強に集中できなくなり、問題を解けない自分を責めて勉強が嫌いになり……と悪いループに入り込んでしまったのでした。

 

本当にいったいどれだけ長い年数自分に可哀想なことをしてきてしまったのか。

でも、それがわかり気持ちが軽くなりました。

今までのアドレナリン全開のような昂揚感とも違い、すとん、と元の自分に戻れたような感覚になりました。

その後、短い時間でしたが勉強してみるとすんなり頭に入って、そうだ、この感覚が好きで楽しかったんだ、と遠い記憶と繋がったような感じになりました。

そして、マヤ歴で言われたぶっ壊しの1年はここで区切りがついたんだな、と感じました。

 

今はイメージングも妄想もすんなりできて楽しく感じます。

元の感覚に戻る時もあるけど、慌てなくなり自分で自分を満たすこともできるようになりました。

 

変化についてはまだわかりませんが、父親がすんなり挨拶するようになったり、ブログのコメントに返信してもらったり、母のプルメリアが3年越しでようやく花を咲かせました。

そんなことに幸せを感じられるようになったことが幸せです。